者棄場と云へり。
古戰場としては、小利根の彼方の國府臺、里見氏と北條氏と相戰ひし處、多摩川の此方の分倍河原、義貞が北條の軍と戰ひ、足利成氏と上杉房顯と戰ひ、北條氏康と上杉朝興と戰ひし處也。矢口の渡は、多摩川の川筋かはりしにつれて、むかしとは異なれど、新田義興の遺恨をとゞむる處也。
近郊には、桐ヶ谷、目黒不動、喜多見不動、等々力、十二社、深大寺、王子など、諸處に瀧と名のつくもの多し。いづれも人造にかゝりて、馬の小便みたやうなもの也。もし瀧と思ひて、往いて見なば、大いに失望すべし。これらは總べて、見る爲にあらずして、夏日浴する爲にのみ設けられたるもの也。
十二社の池、三寶寺池、舊神田上水の源なる井の頭池など、池と名のつくもの多けれども、山湖の趣を有するは、西郊の洗足池のみ也。
關東平原は、日本國中、最も大なる平原也。隨つて東京の近郊は、箱庭的の風景なくして、所謂大陸的也。これ東京近郊の特色也。而して眺望の佳なるは、市内にては愛宕山が第一也。市外に出でては、品川の品川神社、市街と海と山野との眺望をかねたり。國府臺脚下に小利根を見下ろし、三里の平田を隔てて、東京の全市を望む。百草園後に
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