埋葬地にあり。大久保利通、後藤象次郎、西郷從道、川上大將、野津中將、副島種臣、廣瀬中佐、落合直文、尾崎紅葉、市川團十郎などの墓、こゝにあり。中谷埋葬地にも、可成り名士の墓多し。市内にては、泉岳寺の四十七士の墓、回向院の鼠小僧の墓、白金の立行寺の大久保彦左衞門の墓、最も有名にして、參詣者も多し。郊外に出でては、品川の東海寺の墓域に、澤庵和尚、賀茂眞淵、服部南郭の墓あり。海晏寺に、岩倉具視、松平春嶽の墓あり。海晏寺より程遠からぬ大井村の山内家の墓域に、山内容堂の墓あり。本門寺には、狩野探幽、星亨の墓あり。目黒不動のほとり、比翼塚、權八小柴を合葬すとて、有名也。洗足池畔に勝海舟の墓あり。世田ヶ谷の豪徳寺に、井伊直弼の墓あり。板橋停車場の傍に、近藤勇の墓あり。山谷には、高尾の墓、揚卷助六の墓あり。橋場の總泉寺に、平賀源内の墓あり。少し市内に入れば犬の墓多きは本所の回向院、貴族の立派なる墓多きは深川の靈嚴寺也。音羽の護國寺の東北の横手、寺も何も無き處に、室鳩巣、柴野栗山、古賀精里、古賀※[#「にんべん+同」、第3水準1−14−23]菴、尾藤二州、岡田寒泉などの墓、累々として相竝ぶ、之を稱して、儒者棄場と云へり。
 古戰場としては、小利根の彼方の國府臺、里見氏と北條氏と相戰ひし處、多摩川の此方の分倍河原、義貞が北條の軍と戰ひ、足利成氏と上杉房顯と戰ひ、北條氏康と上杉朝興と戰ひし處也。矢口の渡は、多摩川の川筋かはりしにつれて、むかしとは異なれど、新田義興の遺恨をとゞむる處也。
 近郊には、桐ヶ谷、目黒不動、喜多見不動、等々力、十二社、深大寺、王子など、諸處に瀧と名のつくもの多し。いづれも人造にかゝりて、馬の小便みたやうなもの也。もし瀧と思ひて、往いて見なば、大いに失望すべし。これらは總べて、見る爲にあらずして、夏日浴する爲にのみ設けられたるもの也。
 十二社の池、三寶寺池、舊神田上水の源なる井の頭池など、池と名のつくもの多けれども、山湖の趣を有するは、西郊の洗足池のみ也。
 關東平原は、日本國中、最も大なる平原也。隨つて東京の近郊は、箱庭的の風景なくして、所謂大陸的也。これ東京近郊の特色也。而して眺望の佳なるは、市内にては愛宕山が第一也。市外に出でては、品川の品川神社、市街と海と山野との眺望をかねたり。國府臺脚下に小利根を見下ろし、三里の平田を隔てて、東京の全市を望む。百草園後に
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