の領地、もと此に在り。その五文の錢を拾ひしは、鎌倉の滑川にあらずして、こゝの滑川なりと案内の童にそゝのかされて、行いて見しに、川身に直徑八寸ばかりなる圓き穴五つあり。これむかし落ちたる錢の痕の、年を經て大くなりたるなりといふに、覺えず噴飯せしは、早や已に十年前の一夢となりぬ。その錢痕、今なほ存するや、存せざるや、知らず。
朝まだ早ければ、遊人未だ出でず、香氣獨り山海の間に滿てり。されど、われは竟にこの香世界を去らざるべからず。命あらば、また來年の春にとて、歸路に就く。憶ふ昔、佐藤一齋の杉田觀梅記に感服のあまり、頓に遊意を催して、夜八時都を出で、明方杉田に着し、その日また直ちに歸路に就き、一晝夜を全く徒歩して辭せざるまでに思ひこがれたる地なれど、前後こゝに遊びし友、一半は渭樹秦雲と隔たり、一半は幽明界を異にす。こゝに遊ぶにつれて、また恨みなき能はず。獨り梅花は舊に依りて東風に笑ひ、われ亦舊の如く江湖の窮措大なり。嗚呼既往十年の事、恥あり恨あり涙あり。苦しき憂世にたつき求むとて、心にもあらぬ事を忍びたるも幾度ぞや。よしや塵には汚れたりとも、もとの心は、花ぞ知るらむ。さらでだに分ち難き袂に
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