階の障子を明け放して見とれけるが、忽ち空艪漕ぐ聲す。花を見すてて歸る雁がねにや。一首なくてはと空を見わたせど、雁影は見えず。忽ちまた鳴く。されど、なほ見えず。三聲四聲、あまり鳴音のしげきに、よく/\聽けば、まことの雁にはあらで、宿に飼ひたる鶩のなく音なりと氣が付きて、覺えず雨江と相顧みて一笑す。
酒に陶然として醉ひ、宿を立ち出でて、まづ前遊の時立ちよりし茶店に茶を乞はむとて、戸を推せば、恰も入れちがひに、一人の僧の歸りゆくあり。見れば、白鬚長き老翁、爐にあたり、自在にさがれる鐵瓶を隔てて老媼と相對す。僧を送り出でたる一人の女、土間に臥せる小犬を抱き起せば、犬は狎れて、その手を舐りながら、ねむたさに堪へでや又靜かに眠る。女、われらを顧みて、東屋に宿りたまひたる御客ならむといふ。如何にして知りたると問へば、先程已に通知ありたりとて笑ふさま、山家そだちのものとも見えず。老媼茶を汲みて出せば、女そを受取りて、いざとて侑む。酒後の茶とて、味ひ太だ好し。老翁しきりに、上りて爐に當れよと云へど、夜も更けたり、また來むとてたち出づ。
八幡祠前を散歩す。このあたり、梅尤も多し。一痕上弦の月、天に印し
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