、少しは苦痛を免るゝ心地す。『たゞ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我が思ひ哉』と咏じけむ、余の遊行するは、病人の病院に入る也。もとより酒の味は、口に解せず、たゞ、からだのみ解する身也。されど毎日晩酌をかゝざるに慣れて、一二合ぐつと飮み干して、體に微醉を求むるとは、われながら、未練なる男哉。酒に憂へを忘るゝは、小さき料簡也。一切酒を口にせずとは、これも小さき料簡也。飮みて酒の趣を得てもよけれど、進みては、飮まずして酒の趣を得るに至るべし。斗酒も辭せざるは男子の意氣地なるが、飮まざれば酒の趣を得ずとは、まだ悟れぬ人の事なりと、自から悟つたつもりなるも、酒に嘔吐を催すやうになりたるおかげと、思ひ切つては廣言も出來ず。茶店の棚にならべる正宗の瓶をながめて、腹の蟲がまだ納まり兼ぬるやう也。
歩をかへし、李花の間を過ぎ、菜畑を過ぎ、麥畑を過ぎて、元荒川と街道とを隔つる堤上に立つ。大房の桃林の一部遙に見ゆ。ながめ廣やか也。桃の紅、李の白、菜花の黄、麥の緑、之に、一帶の雲が日に映じて紫となれるを合はせて、滿目、五色の天地と、ふと一ぷく吹かしたくなりたるも、おぞや、まだ悟れぬ凡夫の身也。
越ヶ谷の停車場より馬車にのりて、野田に赴かむとするに、馬車今來しばかりにて、まだ時間がありさう也。久伊豆神社を訪ひて、路にて待ちあはさむとて、急ぐ路なれば、人力車を走らす。十餘町の程也。元荒川の左岸に、森林を爲す。鳥居より社前まで可成り長し。祠畔、小池にのぞみて、藤の老木あり。車夫に向ひて、粕壁にも、藤があるさうながと云へば、房の長さは、どちらも五六尺に及ぶ、されど、こなたには、池あるが勝れりといふ。これから、野田へ桃見に行かむとするなりと云へば、桃は越ヶ谷が第一也、野田はつまりませぬと打ち消す。我が住む里の自慢は、自然の人情なるべし。車夫の言ふに任せて、野田街道の橋畔の菓子賣る家に休息して、馬車の來たるを待ち合はす。人家に近き處なれど、一羽の鷺、悠然として淺瀬に立てるは、珍らしやと、茶をのみつゝ、見入る程もなく、がた/\と音して、馬車來たる。乘らむと待ちかまふれば、一人なら乘れるが、二人なら乘れぬといふ。やれ/\、仕方なし。二里半の程なり、歩いて行かむと、冷金子をうながしたてて、歩を進め、松伏、金杉を經て、利根川をわたれば、日暮れたり。路の兩方には、桃林あれど、明らかならず。野田の町に入り
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング