を蛇の頭上に加ふれば、頭つぶれて死す。子供ども、快哉と呼ぶ。日暮れたる後、また蛙の悲鳴を聞く。小石を二つ三つなぐれど、なほ悲鳴を聞く。大なる石をなげつくれば、悲鳴は聞えずなりぬ。蛇死して蛙のがれたるか、蛇蛙共に死したるか、それとも蛇命を全うして蛙を呑み了りたるか、闇中の事なれば、知るに由なし。これ筑波の途上、親子が興じあひたるいたづら也。
沼田村より山路にさしかゝる。林間の一路、闇さは闇し、家は無し。十六をかしらに、末の子が十一、何も見えざるに、足の疲れを覚えけむ、筑波町はまだですか、まだですか。もうぢきだ、ぢきだ、男だ。辛捧せよと呼びかはして行く程に、灯光路に当る。これが筑波町かと思ひの外、山中の一軒家也。まだ何町あるかと聞けば、もう二三町也。この闇きに、提灯《ちょうちん》なきは危し。提灯つけて送らせんといふ。田舎にうれしきは、人の深切《しんせつ》也。それには及ばずと断りて、なほ闇をさぐり、筑波町に達して宿りぬ。
筑波に遊ぶこと、これで三度目也。在来の書物には、筑波町より頂上まで一里卅二町とあれどこの頃新しく処々に立てられたる木標の示す所によれば、男体山まで廿一町廿三間、男体山より女体山まで八町、女体山より廿五町半、往復都合|凡《およ》そ五十五町也。それを朝七時に宿を出て、十二時に戻り来りぬ。茶店の路を要するもの、男体の途に三つ、女体の途に二つ、頂上に三つ。下からわざわざ上つて来て居ります。やすんでいらつしやれと強ひられて、素通りも出来ず。一軒に五分づゝ休むとしても、都合四十分かゝる。蘭を採つたり、つくばねの実を採つたり、山毛欅茸を採つたり、路草くふことも多かりしかば、斯《か》く五時間も長くかゝりたる也。
男体山へ上る途の名所は、小町桜と、水無川の、水源と也。小町桜のある処は、むかし日本武尊《やまとたけるのみこと》の休憩あらせられし処と称す。水無川は、百人一首にある陽成院の『筑波根の峯より落つる水無川恋ぞつもりて淵となりぬる』にて、有名なるもの也。女体の途の名所には、弁慶七戻あり、一種の石門也。上に横はれる大石、落ちんとして落ちず、さすがの弁慶も、過ぐるをはゞかりたりとは、とんだ引合に出されたるもの也。
頂上には、男体女体の二尖峯相並びて突起し、南に離れて連歌岳あり、東につらなりて宝珠岳あり。なほ女体よりの下り路に、北斗石、紫雲石、高天原、側面大黒石、背面大黒石、出船入船などの奇巌、峯上に突起す。就中《なかんずく》女体峯頭が最も高く、且《か》つ眺望最もすぐれたれど、この日は濃霧濛々として眺望少しも開けざりき。男体山には伊弉諾尊《いざなきのみこと》を祀り、女体山には伊弉冊尊《いざなみのみこと》を祀る。其外《そのほか》、頂上に摂社|頗《すこぶ》る多し。男体の一角に測候所あり。これ明治三十五年に故山階宮菊磨王殿下の設立し給へる所、筑波山新たに光彩を添へぬ。然るに、殿下今や亡し。測候所は文部省が引継げりと聞く。金枝玉葉の御身を以て、斯かる山上に測候所を設立し給ひし御志の程、世にも尊く仰がるゝ哉。殿下御在世の時、同妃殿下、登山せさせ給ひて、
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筑波根の峯に建てたるやぐらにも
あらはれにけり君がいさをは
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三 小田城と太田三楽
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筑波山は山しげ山しげけれど
思ひ入るにはさはらざりけり
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げに、古より樹木しげかりけむ。筑波山の高さは僅に三千尺ぐらゐなれど、関東平野の中に孤立せるを以て、関東にては、何処からも見ゆ。随《したが》つて、筑波山上よりは、関東を残らず見渡すを得べし。関城趾方面よりは、男体のみが見えて、女体は見えず。右に豊凶山をひかへ、左に葦穂、加波、雨引の三山をひかへて、勢、秀抜也。これ側面観なるが、正面より、即ち山麓の臼井村より見れば、男体女体の双峯天を刺して満山鬱蒼たり。春日山や、嵐山や、東山や、近畿には鬱蒼たる山多けれども、関東の山には樹木少なし。唯々筑波山のみは樹木鬱蒼として、関東の単調を破る。
午後一時、筑波町を発足して帰路に就く。北条まで歩きて馬車に乗る。小田村の路傍、「これより南三町小田城趾」としるせる木標の立てるを見る。これ当年北畠親房が一時たてこもりたる処也。然るに城主小田治久は勢を見て北朝に附しぬ。瓜のつるに茄子はならず。祖先が祖先なれば、子孫も子孫、この小田氏は戦国時代になりても、勢を見て北条氏に附しぬ。されど、本城は太田三楽に取られたり。
太田三楽は、太田道灌の曾孫也。智仁勇を兼ねたる名将として鳴りとゞろきたる英雄なるが、其一生は失敗の歴史也。豊臣秀吉小田原征伐の際、徳川家康に謂つて曰く、関東に二つの不思議あり。卿之を知れりや。曰く、其一は太田三楽ならむ。曰く、然り。曰く、今一つは思ひうか
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