ばず。曰く、矢張り太田三楽也。我等の如き者でも、天下を取れるに、三楽の如き人が一国も取り得ざるが不思議なる也と。三楽は非凡の英雄也。故に秀吉も家康も期せずして、これを関東の一不思議としたり。宇佐美定行も言へり、当代、主君と仰ぐに足るべき人は、わが謙信公の外に唯々三楽あるのみと。斯かる英雄が一国も取り得ざるは、不思議と云へば不思議なれども、実は不思議に非ず。三楽が若《も》しも小田氏の如く勢に附したらば、失敗はせざりしならむ。三楽は※[#「魚+更」、第3水準1−94−42]骨《こうこつ》を有す。成敗以外に、巍然《ぎぜん》として男子の意気地を貫きたり。成敗を以て英雄を論ずべからずとは、三楽の事也。滅亡に瀕せる上杉氏を助けて、旭日の勢ある北条氏に抗したり。安房の里見義弘と結びたるも、鴻の台の一戦に大敗したり。越後の上杉謙信を頼みたるも、謙信は関東に全力を注ぐ能はざりき。失敗又失敗、本城の岩槻さへ取られ、はる/″\常陸まで落ちゆきて佐竹義宣をたより、片野に老後の身を寄せたり。然れども、雄志|毫《ごう》も衰へず。老武者の英姿は、いつも筑波山下に躍動したりき。
 父の小田天庵、藤沢に居り、子の守治、小田に居る。三楽は程近き片野に在りて日夜工夫をこらせど、如何せむ。敵の城はかたく、我兵は少なし。唯々小田天庵は毎年大晦日に、年忘とて連歌の会を催し、酒宴暁に至るを定例とせり。三楽之を聞き知りて、乗ずべきは此時なりと勇みぬ。されど、手兵のみにては不足也。茲《ここ》に真壁掃部助と言ひあはせて、一の窮策を案じ出だせり。小田の重臣に内応するものあり、乗ずべしとて、佐竹方や多賀方の豪傑どもを招き、その内応の手紙さへ示したるに、豪傑ども、三楽に加勢することを諾す。然るに愈々《いよいよ》小田城に押しよせて見れば、一向内応の模様なし。諸将こは如何にと怪しめば、実は内応ありたるに非ず。手紙も、にせ手紙也。唯々連歌の酒宴ある夜なれば、内応にもまして都合よし。願はくは一臂《いっぴ》の力をかされよといふ。これも一理あり。今更ぐず/\言ひても仕方なしとて、一呼して城を抜きたり。その後、天庵は一度小田城をとりかへしたるが、再び三楽に取られたり。かゝる程に、大敵外よりあらはれ、北条氏は秀吉の為に亡ぼされたり。かくて、三楽の宿志は、思ひがけずも、秀吉によりて達せられたるが、三楽其人は、あくまでも不運の英雄なりき。北条
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング