館、波に俯す。子の日原の喬松、その數千株なるを知らず。磯節に『松が見えます』とあるものは即ち是れ也。欄によりて明月に酌めば、夜凉座に迸り、漁歌遙に相答ふ。場所柄の磯節聞かむとて、校書を聘すれば、都の落武者なるに、いと口惜し。
六 西山
請ふ君、なほ急がずば、水戸より太田鐵道に乘換へて、太田に着し、そこより人力車に乘り、桃源橋を過ぎて、西山の舊草盧を訪へ。四方の小丘、數百年來の老樹しげり、古き池には、蓮生ひたり。これ義公が老を養ひし處、義公の居間と侍臣の謁見する室との間に閾を設けざるは、義公の心の存する所を見るべし。その庵、天保年間に燒けたれども、規模用材等悉く舊によりて再築せりとかや。さすがは烈公也。
七 勿來關
關本にて汽車を下り、平潟市街を過ぎて、八幡山より平潟灣を見下せば、眺望亦佳なる哉。この地、十數の妓樓あれど、波に漂へる舟夫の輩が、舟よりはましなりと思ふにすぎざるべし。幾個の洞門を過ぎ盡して、磐城に出づ。海※[#「さんずい+(从/巫)、717−8]より七八町上りたる處、傅ふ、これ勿來關址なりと。馬上弓を横へて歌を吟ぜし八幡太郎、今何づれの處にかある。路もせに散りけむ山櫻も既に枯れつくしぬ。星霜こゝに八百年。將軍の昔を問へば、松籟むなしく謖々たり。
八 湯本温泉
濱街道唯一の温泉場、兼ねて唯一の温柔郷たる湯本温泉は、小山の間にある別天地也。汽車この地を過ぎ、石炭坑數箇處この附近に發見せられ、その機械場、常に煤煙を吐くに至りて、風致頓に俗了せり。されど、市街中に崛起せる觀音山にのぼれば、矚目頗る閑雅也。數十の温泉宿、悉く脚下にあり。東山逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1−92−52]として、恰も畫けるが如し。
『送りませうかよ、天王崎へ。それで足らずば、船尾まで』とは、都にゆく客を送るなるべし。妓樓市街の中にありて、宿屋より遙に立派なるもの多かりしが、福島縣下は妓樓の市街中にあるを禁じたるを以て、四軒まで減じ居りし妓樓はたゞ一軒となりて、市街の外に移りぬ。妓樓は變じて宿屋となりぬ。而して藝妓の數、娼妓に幾倍するに至れりとかや。
美人欄によりて一高樓を指して曰く、もとこれ妓館也。今もなほ記す。去年の春の暮、そこの妓館の一遊女、美にして利口なりしも、男に惚れてはのろき女性のならはし、男の
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