々、白帆浮ぶ。國府臺水に接して、積翠を凝らし、葛西葛飾の水田、茫々盡くる所を知らず。栗市の渡をわたりて、國府臺に上り、一茶店に就いて酒を呼ぶ。櫻花數十株、喬松の間にまじる。一條の櫻雲、小利根川畔に遠く相連なる。東京の方を見れば、數百千の煙突煙を吐く。十二階殊に目立ちて見ゆ。皇城まで直徑三里もあるべし。號砲の音、さやかに聞ゆ。鄰席の一群の中に、早川純三郎氏あり。裸男を認めて、來り話す。思ひがけぬ人に逢ひて、酒も一層の味を添ふ。早川氏その一群と共に去りて後、凡そ二十分、われらも發足して、栗市の渡をもとへ戻り、川に沿うて上る。上るに從ひて、櫻の木漸く大也。とぎれ/\に遊客に逢ふ。柴又帝釋天の後方にて、また早川氏の一行の川より上り來たるに逢ふ。この一行は、栗市より舟にて上りたる也。逢うて話す間もなく、この一行は帝釋天さして去り、我等は花のトンネルを行く。別れて間もなく、その一行の中に、『御兩人/\』と連呼するものあり。われら兩人の事かとふりむけば、土手の傾斜面に、若き男女相竝びてすわる。男の顏は黒く、女の顏は白し。男冷かされて、少しうつむきたるが、女はずう/\しくも手招きしながら、『新馬鹿大將』と叫ぶ。『蛇喰ふと聞けば恐し雉子の聲』の句さへ思ひ出されて、いとあさまし。
奧州濱街道に出でて、金町に至り、電車待つ間に、葛西靈松と稱する老松を看る。田舍に置くは惜しきもの也。相對して厭くことを知らざるが、思ひの外早くも電車來りければ、心は後に殘りつゝも、之に乘りて歸路に就く。
小利根川一に江戸川と稱す。櫻なほ若し。譬ふれば、十五六の少女にや。この日、市川橋より上を見物したるが、下には櫻樹長く相連なれり。上下數里、直ちに小利根川に接し、白帆殊に趣を添ふ。平田の眺めもよし。空澄まば、富士、箱根、秩父、日光、筑波も見ゆべし。國府臺の鬱蒼たるあり。帝釋天の壯麗なるあり。酒樓には、川魚料理を以て有名なる川甚もあり。舟にて花を眺むるの便もあり。今の處、吉野、小金井、荒川が櫻の名所の三絶と云はるゝが、ゆく/\は小利根川、必ず之に加はるべし。[#地から1字上げ](大正五年)
底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年9月17日作成
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