馬既に廐に入れられ、寂として聲なし。一老櫻の側に、『牝馬吾妻之塚』と題する木標立てり。其の木標は新らしくして、この頃建てられたるものと見ゆるが、裏面には、明治九年に死せる由を記せり。舊墓標朽ちて更に新たに建てられたるにや。馬に墓あるは、よく/\の事なるが、三十年後の今日になりても、其の墓なほ新たなるは、益※[#二の字点、1−2−22]よく/\の事也。この牝馬、多くの名馬を生みたりと聞く。名馬を生みたるが故に、この墓あり。生まずば、この墓も無かるべしと思ふにつけても、この馬のみには非ず、あらゆる生物、殊に人間は、良き子孫を殘すといふことが、何よりの義務にして、又何よりの功績也。良き子孫を殘すことによりて、其の家發展し、其の國も發展す。然らざれば、其の家も其の國も衰滅の外なし。生物生存の意義は種の繼續也。否、良種の繼續也。女性と生れて、如何ばかり美なりとも、如何ばかり賢なりとも、子を生まずんば、女性としての義務を果さざるもの也。子を生みても、愚なる子を生みては、若しくは愚なるやうに育てては、却つて一種の罪惡たらずんばあらず。思うて茲に至れば、家貧にして良妻を思ふべきのみならむや。
三里塚驛前の茶亭に休憩して、汽車を待つ間に、瓢に殘れる酒を飮み盡しぬ。汽車に乘りたるに、日暮れたり。燈火の設備なし。二十世紀の文明の世の中、こゝの夜汽車だけは闇なりき。
[#地から1字上げ](大正五年)
底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月26日作成
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