鹿野山
大町桂月

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)八尾《やを》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)西|春日《かすが》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]

 [#…]:返り点
 (例)天風一陣氣如[#レ]秋。

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぐず/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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        一 鹿野山二十咏

大正二年の夏、上總の鹿野山に遊びて、鹿野山二十詠を作る。これ歌に非ず、三十一文字の案内記也。
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一  八尾《やを》八作《やさく》八峯《やみね》八つ塚大杉の森の中なる大伽藍哉
二  上總にて第一と聞く大寺の由來は古し聖徳太子
三  本堂の後ろの箱にとぐろ卷く大蛇《をろち》は左甚五郎の作
四  山頂の平地ぞ世には類ひなき西は上町《うはまち》ひがし下町
五  山頂の東の端《はて》ぞ珍らしき九十九谷の日の出月の出
六  山頂の西の端なる鳥居崎十三州は脚下《あしもと》にして
七  富士筑波箱根日光關東の名山すべて一目にぞ見る
八  大海の彼方に見ゆる烟突の烟ぞ花の都なりける
九  欄干にもたれて見るも面白や東京灣の出船入船
一〇 白鳥の社に落つる涙かな日本武尊《やまとたける》の昔おもへば
一一 その昔暴威ふるひし阿久留王首は討たれて殘る胴坂
一二 神野寺《じんやじ》を南に下る十餘町山腹ゆすり落つる大瀧
一三 幾千代の昔は波も寄せにけむ鹿野の山の崖の貝殼
一四 西|春日《かすが》東白鳥中藥師これぞ鹿野の山の三つ峯
一五 西佐貫東|市宿《いちじゆく》北|草牛《さうぐ》南湊は山の入口
一六 臺ノ畑高く聳ゆる招魂碑面する方は皇城にして
一七 清澄も鋸山も富山《とみさん》も總房の山みな見ゆるなり
一八 鬼どもが敗れて泣きし跡と聞く鹿野つゞきの鬼涙山《きなだやま》哉
一九 盂蘭盆の夜ぞ面白き少女子がサンチヨコ節を歌ひ囃して
二〇 神木に棲みぬる烏數百羽打連れ歸る入相の鐘
[#ここで字下げ終わり]

        二 神野寺

聞く、深山の平地は、禪を修するに適すとて、弘法大師は高野山を開けりとかや。天下に山は多けれども、山頂に平地あるは、關西にては、ひとり高野山あるのみ。關東にては、ひとり鹿野山あるのみ。品川灣頭に出でて見よ。海の彼方に見ゆる山の中にて最も大いに、最も高きが、即ち鹿野山也。直徑十三里もあるべし。鹿野山上より東京の方を望むに、深川の諸烟突より出づる數十百條の烟うす黒く見ゆ。其中に唯※[#二の字点、1−2−22]一つ一抹の白烟の帝都の空に搖曳せるあり。雲か、雲に非ず。波か、波に非ず。之を土地の人に問ふに、皆知らず。一學生あり。曰く、これ淺野セメント會社の烟突より出づる石灰抹の飛散せるなり。東京に居りては見えざれど、羽田にゆけば見ゆるなりと。
 神野寺を中心として、五六十の人家東西に連なりて、小市街を爲す。東を下町、一に閼伽井町と稱し、西を上町、一に箕輪と稱す。箕輪町に四五軒の旅館あり。眺望開く。下町は眺望開けず。砂地にして、兩側に茅屋竝ぶ。海邊の村落かとばかり思はれて、山上に在る心地はせざる也。神野寺は聖徳太子の草創と稱す。今眞言宗新義派の智山派に屬す。上總第一の大伽藍也。十間四方の本堂、仁王門をひかへ、觀音堂をひかへ、一切經藏をひかへ、鐘樓をひかへて、老杉の森の中に、燦然として光る。左甚五郎の作と稱する門を入れば、客殿宏壯にして、青苔地に滿つ。客殿の後ろに方丈あり。築山をひかへ老杉に圍まれて、瀟洒にして間寂、別天地中の別天地也。寺の執事楠純隆氏、文を善くす。余を遇すること厚し。われ方丈に起臥して日を經るまゝに、末の子の四郎の五歳になれるが、余を慕ひて、母と共に山に登り來たる。大正の石童丸は、母と共に父に逢へるなりと一笑す。

        三 演説會

鹿野山小學校の校長鴇田鹿鳴に要せられて、校舍に演説す。その晩、共に大塚屋の樓上に飮む。われ一絶を作つて曰く、
[#天から2字下げ]天風一陣氣如[#レ]秋。人在[#二]峯頭百尺樓[#一]。笑把[#二]巨杯[#一]澆[#二]磊塊[#一]。酒香吹散十三州。
鹿鳴次韻して曰く、
[#天から2字下げ]占得人間以外秋。胸襟披盡醉[#二]高樓[#一]。風流今夜凌[#二]千古[#一]。笑見十三州又州。
 鹿野山の東北麓なる小絲村の青年會より請はれて、往いて演説す。戯れに俗謠を作つて曰く、
[#ここから2字下げ]
小絲言はれて斷られうか
  儂の思ひも鹿野山
[#ここで字下げ終わり]
 鎌田善一郎、松崎長治の二氏來り請ひ、當日
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