跡なりと云ひ傳ふ。祠に詣づる者、誰か思ひを二千年の昔に馳せざるを得むや。鳥居を後にし、芝生の中を數十間も行けば、懸崖忽ち直下す。鹿野山は、どの方面も傾斜緩漫なるが、こゝのみは峭壁となる。されど、巖にはあらずして、草をさへ帶びたれば、物凄き感は起らず。小絲川の流域は近く露れ、小櫃川の流域は、山の彼方にあり。立ち昇る朝霧に、それと知らる。眼界は百八十度にひろまり、六七里の外に達す。千山奇を爭ひ、萬壑怪を競ふ。近く尖り立てるは高宕山なり。天邊に桃の割れたるが如きは大福山なり。清澄山は烏帽子の如く、富山は二峯に分れ、一峯は草、一峯は樹林を帶びて、恰も獅子の臥するが如し。處々に村落あり、田あり、畑あり。初夏の頃は躑躅の觀、美を極むと聞く。一種パノラマ的風景として、天下にその類ひ稀なるが、われ此處に日の出を見て、其美觀に驚きぬ。月の出を見て、又其美觀に驚きぬ。秋になれば、朝霧一面に大海を現出し、數百の峯尖、島嶼となりて浮ぶの奇觀を呈すとかや。

        六 鳥居崎

鳥居崎にも、老杉の下に掛茶店あり。九十九谷にては見えざりし鋸山、こゝに來れば、近く屹立せるを見る。東京灣脚底に展開し、相模灘遠く天に接す。富津の三砲臺は、恰も巨船の如し。富士を盟主として、十三州の名山、悉く寸眸に收まる。安房、上總、下總、相模、武藏、上野、下野、常陸が所謂關八州也。天城山にて伊豆を見、富士山にて駿河甲斐を見、淺間山にて信濃を見、三國山にて越後を見る。眼界の及ぶ所都合十三州也。横須賀は近く瓦鱗にあらはれ、東京は遠く烟突の煙にあらはる。白帆坐し、汽船走る。伊豆の大島は、海上に長鯨の如く横はる。斜陽、夏は富士の右に入り、冬は富士の左に入る。九十九谷を奇觀とすれば、鳥居崎は壯觀也。九十九谷と鳥居崎とを并せ得て、鹿野山の眺望は天下の絶景也。上町に於ける旅館の眺望も、鳥居崎に彷彿たるものあり。世に眺望の佳なる山は少なからざれども、多くは足を停むべき設備なし。適※[#二の字点、1−2−22]之あるも、掛茶屋ぐらゐのもの也。旅館の樓上、杯を含んで十三州を見渡すの快觀は、鹿野山の外、幾んど其類を見ざる也。

        七 神木の烏

鹿野山は砂の山也。どの方面を上下しても、一巖をも見る能はず。大瀧を見に行きしに、高さ三四丈もあり。懸崖峭立して幽邃なるが、こゝとても砂の巖也。夏は山百合一面に咲きて、山を白
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
大町 桂月 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング