老梅も多し。越生《おごせ》在の津久根にも、越ヶ谷にも、多摩川畔の久地にも、梅林あり。越ヶ谷と久地とは、われ未だ之を見ず』と云へば、『さらば其の久地の梅を探らむ』といふ。山神も隨行せむことを乞ひしが、『今から行きては日暮れむ』とて躊躇す。『知らずや、梅は晩が香氣高きもの也。又梅に副へたきものは、清き水也。林和靖の「疎影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏」の句は、古今の絶唱也。久地は多摩川畔にあれば、その清淺の水もあり。今から行けば、時も亦好きに非ずや』と、裸男知つた風の事云へば、なるほどと山神感服して、共に出で立つ。
目白より山手線の電車に乘り、澁谷に下りて、玉川行きの電車に乘り、大山街道を通りて、終點の二子の渡に下る。臺地に據りて、眺望の佳なる行善寺あり。清水堂に擬して造りたる祇園閣の下に瀧を設けて、夏の浴客を待ち、猿、鹿、鶴などを飼養して小兒の目を喜ばしむる玉川遊園地もあり。菖蒲園もあり、櫻楓園もあり。酒樓相接して、夏は鮎狩に賑ふ處也。渡舟にて多摩川を渡り、右に折れて堤上を行く。空曇りて、風寒し。川とはなれて、ぽつ/\梅花を見る。右手に農家なくなりて、始めて二三町の彼方に、一堆の香雪を見る。堤を右に下りて、身はいつしか其の香雪の中に入る。屋根門の内に、大なる藁葺の一構へあり。川邊氏とて、この地の豪農也。梅はその構外の前にあり、横にあり、後ろにもあり。老いたるもあれば、若きもあり。麥畑入り込み、竹林、雜木林相接し、松林もあり。所謂梅林的ならずして、野趣愛すべし。掛茶屋の赤毛布に腰を卸せば、老婆茶を侑む。『持主は誰れ』『川邊氏』、『何本かある』『凡そ六百本』、『幾何の收入かある』『四五百圓』、『梅林は此處だけなるか』『一昨年までは、山の彼方の上作延《かみさくのべ》にも梅林ありたるが、今は梅を切りて、栗を植ゑたり』。これにて要領を得たるが、老婆はなほ梅の根元に堆き藁を指して、『藁が一番梅の肥料になる』といふ。又『花の速く咲けるは、其の實の生ずること遲く、花の遲く咲けるは、其の實の生ずること早し』といふ。これは三人とも初耳也。『いづれが酢きか』と問はざりしは、拔かりたり。人に譬ふれば、前者は小僧上りにして、後者は學校出なるべくや。
梅林を辭して、西に數十間行けば、一帶の小山樹木を帶ぶ。多摩川の分水、其の麓を洗ふ。水閘の下、數十間の間、水清くして深く、流るゝこと駛く、目覺むる心
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