ンと結んだ、一人の異様な角力《すもう》取りが、我れと己れの舌を噛《か》み切って、仰向きざまにぶっ倒れていたのでございます。
「手遅れでしたよ」
お医者様はそういいながら、無造作《むぞうさ》な手つきで死人の体をまさぐっていられましたが、やがてふと、卒塔婆の前のもう既に燃えつきようとする線香の束の横から、白い手紙のようなものを取りあげると、そいつをひろげて、黙って警部さんのほうへ差し出されました。むろんその手紙は、私もあとから見せていただきましたが……なんでも、余り達筆ではございませんでしたが、それでも一生懸命な筆跡で……
御|贔屓《ひいき》の奥様。
いきさつは御実家の旦那様からお伺いいたしました。私めのためにとんでもない濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》をお着になったお恨みは、必ずお晴らし申します。特別御贔屓にして頂きました私めの、これがせめてもの御恩返しでございます。
――大体、そんなことがその手紙には書いてあったのでございます。
――いや全く、相手がお角力取りと知ってからは、大きな下駄の跡を、庭下駄だなんて騒いでいた連中がおかしいみたいで……それに、これはあとから奥様の御実家の旦那様から伺ったんでございますが、なんでも下駄の内側を擦り減らすのは角力取りに多いので、それは角力取りの一番力のはいるところが、両足の拇指《おやゆび》のつけ根だからだそうでございます。それから、奥様の御実家は、皆様揃って角力好きで、舌を噛み切って死んだその角力取りは、御実家で特に贔屓にしていらっしゃる、茨木部屋の二枚目で、小松山《こまつやま》という将来のある力士だったそうでございます。
――いや、どうも、奥様の幽霊の正体が、お角力取りとは思いも寄りませんでしたが、それでも私は、奥様が不行跡をなさるようなお方でないことは、初めっから固く信じておりましたようなわけで、こうしてことの起こりが贔屓角力とわかってみれば、やっぱり私の考えが正しかったのでございます。学者気質で、少し頑《かたく》なな旦那様には、お可哀そうに、どうしても、贔屓角力の純な気持というものが、おわかりになれなかったのでございましょう……。
――やれやれ、とんだ長話をいたしましたな。では、ここらで御無礼さしていただきます……。
底本:「怪奇探偵小説集1」ハルキ文庫、角川春樹事務所
1998(平成10)年5月18日第1刷発行
底本の親本:「怪奇探偵小説集」双葉社
1976(昭和51)年2月発行
※疑わしいと思われる箇所の照合には、「とむらい機関車」(国書刊行会、1992(平成4)年5月20日初版第1刷印刷)を用いました。
入力:大野晋
校正:はやしだかずこ
2000年12月14日公開
2001年7月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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