共犯なんて始めからないよ」
「待って下さい。貴方は、僕の視力を無視するんですか? 僕はハッキリこの眼で、二人の犯人を……」
「いや、君がムキになるのも尤もだ。君の云うその共犯者はあの石塀の奇蹟と非常に深い関係があるんだ。そしてその奇蹟を発見《みつ》けた犯人が、そ奴《いつ》を利用して故意に君達証人、特に郵便屋のように一定の時刻にきっとあの辺を通る男の面前で、巧妙な犯罪を計画したんだよ。あ、どうしたんだ。君。頭が痛むのかね? いや、尤もだ。あの石塀の奇蹟に就いては、確かに不可解なことがあったんだ。もう、大体の見当はついてるんだが、一寸説明した位では迚《とて》も信じられまい。もう二三日待って呉れ給え。兎に角僕は、これから一寸警察へ行かなくちゃあならん――」
 さて、青山喬介が雄太郎君の頭痛の種を取り除いて呉れたのは、それから三日後のことだった。
 その日は恰度あの惨劇の日と同じようにひどく暑い日だったが、喬介と雄太郎君と蜂須賀巡査の三人は、午後の二時半の灼くような炎熱に打たれながら、秋森家の横の道路を歩いていた。が、やがて例の曲角まで来ると、喬介が云った。
「これから実験を始める。そしてそれは大丈夫成功するつもりだ。――僕達はいまからこの石塀に沿って、あの表門の前の、被害者の倒れていた位置まで歩いて行くんだ。そしてその位置についた時に、僕達の前方に、ポストが、あの見えない筈のポストが、若《も》しも見えて来たなら、それで奇蹟は解決されたんだ。いいかい。さあ歩こう」
 雄太郎君と蜂須賀巡査は、まるで狐にでも憑かれたような気持で歩きだした。……五間……十間……十五間……もう秋森家の表門迄は、余すところ五間、だがそれも軈《やが》て……四間……三間……と、ああ、とうとう奇蹟が現れた!
 まだ被害者の倒れていた位置までは三間近くもあろうと云うのに、カーブを越して三十間も向うのアパートの前にある筈の赤いポストが、いともクッキリと、鮮かな姿を石塀の蔭から現わし始めた。そして三人が前進するに従って、その姿は段々と完全に、そして遂に石塀の蔭から離れた。と、なんと云う事だ。そのポストに重なるようにして、もう一つ同じようなポストが見えだして来たのだ。そして三人が表門の前に立った時には、二つの赤いポストがヒョッコリ並んで三十間の彼方に立っていた。雄太郎君は軽い眩暈《めまい》を覚えて思わず眼を閉じた。と不意に喬介が云った。
「見給え、郵便屋の双生児《ふたご》がやって来る!」
 ――全く、見れば霜降りの服を着て、大きな黒い鞄を掛けたグロテスクな郵便屋の双生児《ふたご》がポストの側からだんだんこちらへやって来る! だが、不思議にもその双生児《ふたご》は、三人に近付くに従って双生児《ふたご》からだんだん重なって一人になりはじめた。そして間もなく其処には、あの実直な郵便配達夫が何に驚いたのか眼を瞠《みは》って、じっとこちらを見詰めたまま立停っていた。
「ああ、蜃気楼だな!」不意に雄太郎君が叫んだ。
「うん、当らずと雖《いえど》も遠からずだ」喬介が云った。「つまりひとつの空気反射だね。温度の相違などに依って空気の密度が局部的に変った場合、光線が彎曲《わんきょく》して思いがけない異常な方向に物の像《すがた》を見る事があるね。所謂《いわゆる》ミラージュとか蜃気楼とかって奴さ。そいつの、これは小規模な奴なんだ。……今日は、あの惨劇の日と同じように特に暑い。そしてこの南向の新しい大きな石塀は、向いの空地からの反射熱や、石塀自身の長さ高さその他の細かい条件の綜合によって、ひどく熱せられ、この石塀に沿って空気の局部的な密度の変化を作る。するといま僕達の立っている位置から、あのポストの附近へ通ずる光線は、空中で反射し屈折しとてつ[#「とてつ」に傍点]もない彎曲をして、ひょっこり『石塀の奇蹟』が現れたんだ」そして喬介は郵便屋を顎で指して笑いながら、「……ふふ……見給え。規定された距離を無視して近付いた郵便屋さんは、もう双生児《ふたご》ではなくなって、恐らく先生も、いま僕達の体について見たに違いない不思議に対して、あんなに吃驚《びっくり》して立ってるじゃあないか。……兎に角、もう三十分もして、一寸でも石塀の温度が下ったり、この実に珍らしい奇観を作り上げている複雑な条件が一つでも崩れたりすると、もうそれで、あのポストも見えなくなってしまうよ……やれやれ、これでどうやら君の頭痛もなおったらしいね」
[#地付き](〈新青年〉昭和十年七月号)



底本:「とむらい機関車」創元推理文庫、東京創元社
   2001(平成13)年10月26日初版
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
   1936(昭和11)年
初出:「新青年」
   1935(昭和10)年7月号
入力:土屋隆
校正:大阪のたね
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