とうとう、嵐がやって来た。
私達が深谷氏の船室《ケビン》へはいると間もなく、海に面した丸窓の硝子《ガラス》扉へ、大粒な雨が、激しい音を立てて、横降りに吹き当り始めた。
高く、或は低く、唸るような風の音が、直ぐ眼の下の断崖から、岩壁に逆巻く磯浪の咆哮に反響して、物凄く空気を顫わせ続ける。
私達を前にして椅子に腰掛けた東屋氏は、劈《つんざ》くような嵐の音の絶え間絶え間に、落着いた口調で事件の真相を語りはじめた。
「まず、兇行の行われた当時の模様を、大体私の想像に従って、簡単に申上げましょう。――昨晩の十二時頃、恰度満潮時に、海流瓶で殴り殺された深谷氏の屍体と、加害者の早川と、例の奇妙な荷物を乗せた白鮫号は、あの無気味な鳥喰崎の吹溜りへ着きます。船底の重心板《センター・ボード》は粘土質の海底に接触し、舵板《ラダー》の蝶番には長海松《ながみる》が少しばかり絡みつき、そして舷側《ふなべり》の吃水線には、一様に薄穢い泡が附着します。さて、そんな事も知らないで下男の早川は、荷物を岸に投げ降ろし、深谷氏の屍体を海中へ投げ込んで船尾《スターン》へロープで結びつけます。そして、岸伝いに白鮫号を引張って入江の口までやって来ると、帆《セイル》と舵を固定して、船を左廻りに沖へ向けて放流します。それから早川は元の場所に戻って、荷物を引きずって草地へ這入ります。草地の奥の小さな池の岸にアセチリン・ランプを置き、池の中へ桁網に詰めたマベ貝を浸すと、犯人はそのまま陸伝いにこっそり深谷邸へ帰ります。一方、深谷氏の屍体を引張った白鮫号は、一旦沖へ走り出しますが、御承知の通り昨晩は凪《なぎ》でしたので、犬崎から折れ曲って逆流している黒潮海流の支流に押されて、この岬の附近まで漂って来ます――」
ここで東屋氏は一寸|語《ことば》を切った。
外の嵐は益々激しさを増して来た。遠く、掻きむしるように荒れ続ける灰色の海の水平線が、奇妙に膨れあがって、無気味な凸線《とつせん》を描きはじめる。多分|颶風《ぐふう》の中心が、あの沖合を通過しているに違いない。東屋氏は再び続ける。
「――只今申上げた通りで、一通りの犯行の過程はお判りになったと思います。が、まだ皆さんの前には、不思議な理解し難い幾つかの謎が残っている筈です。そしてその謎は、最初この事件の解決に当って、割合に単純なこの殺人事件を頗る複雑化したところの代物なんです。例えばまず第一に、不明瞭なこの事件の動機です。そして昨晩ラジオの演芸時間の始まる頃から、急に変られた深谷氏の妙な態度――しかも夫人は、深谷氏の怯えるような独言を聞かれました。いったい深谷氏は『明日の午後』つまり今日のこの午後までに、なにを待ち恐れていたのでしょう? そして又桁網にいっぱい詰ったマベ貝――しかも早川は、私達にそれを見られることをひどく恐れていました――。更に又、夜中にヨットへ乗る深谷氏の奇癖。そして、むっつりした邪険な、それでいてひどく海には執心のあった妙な生活。白い柱《マスト》の尖端《さき》の信号燈――等々です。で、これらの謎を解くために、最も常識的な順序として、ただ一つの現実的な手掛かりであり、私の最も興味を覚えた品である、このマベ貝の研究にとりかかりました。この方面で生活している私が、いまさらマベ貝の研究などを始めたんですから、全くお恥かしい次第です。ところが、そうして色々ひねくり廻しているうちに、私はふとこの貝が近頃人工真珠養殖の手段として、少しづつ実用化されるようになって来た事実を思い出したんです。これはマベ貝が、普通の真珠貝、つまりアコヤガイに比較して、大型の真珠を提供するからですが、で、ふと軽い暗示に唆《そその》かされた私は、早速このマベ貝を一つ打ち砕いて見ました。私の予感は適中しました。これをご覧下さい」
そう云って東屋氏は、ポケットから一粒の大きな美しい真珠を取り出した。そして、驚いている私達の眼の前の机の上へ、そっと転がしながらなおも語り続けた。
「御覧の通り、これは立派な人工真珠です。ところが、皆さんの御承知の通り、人工真珠の養殖は特許になっています。三重県の三喜山氏が特許権の所有者です。従ってこの真珠は、特許を冒《おか》して密造されたものになります。そして同時にその密造者は、養殖技術をも特許権の所有者から盗み出した事になるのです。ではその密造者は誰か? 深谷氏か? 下男の早川か? それとも二人の共謀か? 私は大きさから見て、殆んど直感的に深谷氏と早川の共謀である事を知りました。そして私は、三重県の三喜山養殖場へ、早川が十年前に何等かの関係があったかどうかを電話で照会して見ました。すると果して、十年前に早川を解雇した事があるとの返事です。そこで、今度は、ひとつこれを見て下さい」
東屋氏は、書式張った商業書類ら
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