の論点からして、失礼ですが、あの泡の跡がローリングによって出来たものであると云うお考えを否定しなければなりません。もっとも私は、白鮫号が決してローリングしなかったとは思いません。現在《いま》残っている泡の線を壊さぬ程度の横揺《ローリング》はあったでしょう。しかし、比較的波の多いこちらの海へ漂流して来る間に、ローリングをして尚且つ泡の線が殆んど全体に亘って無事でいられたのは、その吹き溜りで白鮫号が、すっかり空《から》になり、急に軽くなって、吃水が浅くなったからです」
「……ふん、理窟ですな」
 黒塚氏は口惜しそうに呟いた。
「では、先程のお願いを、お聞入れ願いたいと思います」
 そこでとうとう、二人は秤に懸ってしまった。
 先ず黒塚氏が六六・一〇〇|瓩《キロ》。続いて洋吉氏が四四・五八〇|瓩《キロ》。合計一一〇・六八〇|瓩《キロ》。
「義兄《にい》さんの体重も、お知りになる必要があるんでしょう?」
 洋吉氏が云った。
「深谷氏のですか? ええ、是非ひとつ」
「恰度いいですよ。姉の『家庭日記』に、一月毎の記録がある筈ですから」
 そう云って洋吉氏は、主館《おもや》へ向って大声で女中に命じた。
 間もなく上品な装幀の日記帳が届けられた。洋吉氏は早速|頁《ページ》を捲《め》くる。
「ええと、これは先月……これこれ、恰度三日前のが記入してあります」
「ははあ、五三・三四〇|瓩《キロ》ですね……あ、この三八・二二〇|瓩《キロ》と云うのは? ああ奥さんのですな。いやどうも、有難うございました」
 東屋氏の語尾が掠《かす》れるように消えると、瞬間、緊張した、気不味い沈黙がやって来た。
 東屋氏はそれとなく身を反らして数字をノートへ記入しながら、素早く引算をするらしい。私も戸外を見るような振りをして、大急ぎで暗算を始める。例の一九〇・九二〇|瓩《キロ》から深谷氏の五三・三四〇|瓩《キロ》を引くと……一三七・五八〇|瓩《キロ》――これが例の深谷氏の二人の同乗者の重量だ。ところが黒塚、洋吉両氏の合計は一一〇・六八〇|瓩《キロ》。同乗者の乗量より二六・九〇〇|瓩《キロ》も少い。――昨夜深谷氏と共にヨットへ乗っていたのは黒塚、洋吉の両氏ではない。私は何故か軽い失望を覚えて東屋氏を見た。すると彼は、黙ってノートをポケットへ仕舞って、静かに外の芝生のほうへ歩き出した。
 大分風が強くなったと見え
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