火扉の閂にかかった監督の腕に獅噛《しが》みついた。激しい平手打が、お品の頬を灼けつくように痺《しび》らした。
「間抜け! 火が移ったらどうすんだ!」
 監督が呶鳴《どな》った。お品は自分とひと足違いで密閉された峯吉が頑丈な鉄扉の向うでのたうち廻る姿を、咄嗟《とっさ》に稲妻のように覚えながら、再びものも云わずに狂いついて行った。
 が、直ぐにあとから駈けつけた技師の手で坑道の上へ叩きつけられた。続いて工手が駈けつけると、監督は防火扉の隙間に塗りこめる粘土をとりに駈けだして行った。こんな場合一人や二人の人間の命よりも、他坑への引火が恐れられた。それは今も昔も変らぬ炭坑での習わしであった。
 発火坑の前には、坑夫や坑女達が詰めかけはじめていた。皆んな誰もかも裸でひしめき合っていた。技師だけがコールテンのズボンをはいていた。狂気のようになって技師と工手に押しとめられているお品を見、その場にどこを探しても峯吉の姿のないのを知ると、人びとはすぐに事態を呑み込んで蒼くなった。
 年嵩の男と女が飛び出した。それは直ぐ隣りの採炭場《キリハ》にいる峯吉の両親《ふたおや》であった。父親は技師に思いきり一つ張り飛ばされると、そのまま黙ってその場へ坐ってしまった。母親は急に気が変になってゲラゲラと笑いはじめた。レールの上へ叩きつけられて喪心してしまったお品を、進み出て抱え上げた坑夫があった。父母の亡くなったお品にとって、たった一人の肉親である兄の岩太郎であった。
 女を抱きあげながら岩太郎は、憎しみをこめた視線を技師達のほうへ投掛けると、やがて騒ぎ廻る人びとの中へ迎え込まれて行った。
 監督が竹簀《たけす》へ粘土を入れて持って来た。続いて二人の坑夫が同じように重い竹簀を抱えて来た。工手がすぐにコテを取って鉄扉の隙間を塗込めはじめた。
 ほかの持場の小頭達が、急を知った坑内係長と一緒にその場へ駈けつけて来ると、技師と監督は、工手の塗込作業を指揮しながら騒ぎ立てる人びとを追い散らした。
「採炭場《キリハ》へ帰れ! 採炭《しごと》を始めるんだ!」
 呶鳴られた人びとは、運びかけの炭車《トロ》を押したり、鶴嘴を持直したり、不承不承引上げて行った。興奮が追い散らされて行くにつれて、鉄扉の前に居残った人々の顔には、やがてホッとした安堵の色が浮び上った。
 犠牲は一坑だけにとどまった。しかもこうして密閉し
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