厄介になってたんです。腰が抜けていたんでは、片盤坑まで出掛けて人殺しなど出来っこない。判りますね。さアもう、これで犯人は判ったでしょう。あの気狂い婆をフン縛って下さい」
請願巡査はギクンとなって立ちあがると、バタバタと隣室へ駈けこんで行って、岩太郎やお品の見ている前で、有無を云わさず峯吉の母を縛りあげようとした。
ところが、この時、ここで全く異様なことが持上った。それは、いままで自信を以って推し進められた係長の推断を、根底から覆してしまうような出来事であった。
断って置くが、殺された丸山技師は平素から仕事に対して非常に厳格であった。それでそのために坑夫達からは恐れられ、幹部連中からは敬遠されがちであった。が、しかし殺されるなぞと云うような変に個人的な、切羽詰った恨みを受けるような人では決してなかった。今度の坑夫塗込事件だけが、始めてそうした恨みを受けそうな唯一の場合であった。そこで係長は、峯吉の塗込めに関して丸山技師を恨んでいそうな人間を全部捕えて、片っ端から調べた揚句、やっといま目的が達せられるかに見えて来ているのであった。しかも工手や監督と一緒に峯吉の塗込めをした丸山技師に対して、烈しい恨みを抱いている筈の四人の嫌疑者達は、この場合嫌疑が晴れたと晴れないとにかかわらず事務所へ押し込まれて、巡査や小頭の見張りの元に調査を進められ、その間からいまここで異様な出来事にぶつかるまで、誰一人抜け出た者はなかったのである。
さて、その出来事と云うのは――峯吉の母親が息子に代って復讐した犯人と定められて、請願巡査に捕えられようとしたその時であった。事務所の表のほうから、落着のない人の気配がしたかと思うと、硝子扉をサッとあけて浅川監督が飛び込んで来た。そして室内の有様などには目もくれず、息をはずませながら係長へ云った。
「工手の古井が、殺されとる」
三
いったい船乗りとか坑夫とかのように、ズバ抜けて荒っぽい仕事をしている人びとの気持の中には、どうかすると常人ではとても想像も出来ない位に小心で、臆病で、取越苦労な一面があるもので、恰度船乗りたちが海に対して変テコな迷信を抱いたり、可笑《おか》しな位に海を神秘したりすると同じように、坑夫達もまた、坑内で口笛を吹くと必らず山神の怒にふれて落盤の厄に合うとか、坑内で死んだ人間の魂は、いつまでもその場に居
前へ
次へ
全31ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
大阪 圭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング