ろしい出来事の最初の報せを私が受けたのであるが、悪い時には仕方のないもので、恰度その頃、当の三四郎が暫く家を留守にしていた間のことであったので、不意を喰《くら》って私はすっかり周章《あわて》てしまった。三四郎が家を留守にしていたと云うのは、その頃県下の山間部に新しく開校された農学校へ、学務部からの指命を受けて学期末の一ヶ月を臨時の講師に出掛けていたのだった。その農学校は二十五日から冬の休暇に入る予定であった。それで二十五日の晩には、三四郎はH市の自宅へ帰って来る予定だった。ところが不幸な出来事は三四郎よりも一日早く、二十四日の晩に持上ってしまった。
その頃の三四郎の留守宅には、妻の比露子《ひろこ》の従弟《いとこ》に当る及川《おいかわ》というM大学の学生が、月始めからやって来ていた。この男に関しては、私は余り詳しく知らない。ただ明るい立派な青年で、大学のスキー部に籍を置いていて、毎年冬になると雪国の従姉のところへやって来ることだけは知っていた。全くH市の郊外では、もう十二月にもなれば、軒下からスキーをつけることが出来る。その及川と比露子と、その年の春小学校へ入ったばかりの、三四郎の最愛の一粒種である春夫《はるお》の三人が、留守宅に起居していた。いってみれば及川は、三四郎の留守宅の用心棒と云った形だった。しかし奇怪な出来事は、それにもかかわらず降って湧いたように舞い下った。
さて、十二月二十四日のその晩は、朝からどんより曇っていた鉛色の空が夕方になって崩れると、チラチラと白いものが降りはじめた。最初は降るともなく舞い下っていたその雪は、六時七時と追々に量を増してひとしきり激しく降りつのったが、八時になると紗幕《しゃまく》をあげたようにパタッと降りやんで、不意に切れはじめた雪の隙間から深く澄んだ星空が冴え冴えと拡がっていった。こうした気象の急変は、しかし、この地方では別に珍しくも思われなかった。いつでも冬が深くなると、寒三十日を中心にして気象がヘンにいじけ[#「いじけ」に傍点]て来るのだった。いつもいつも日中はどんよりと曇りつづけ、それが夜になると皮肉にもカラリと晴れて、月や星が、冴えた紺色の夜空に冷く輝きはじめる。土地の人びとは、そのことを「寒《かん》の夜晴《よば》れ」と呼んでいた。
八時に遅がけの夕飯を済ました私は、もう女学校も休暇に入ったので、何処か南の方へ旅
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