喬介の指差した太い麻縄のロープの一部に、深く染み込んでいる少量の赤黒い血痕を認めた。
「これがつまり被害者の頸部の絞傷から流れ出た血痕です。さあ、もうバルーンの用事は済みました。揚げて下さい……ああ一寸待って下さい。全部降しちゃって下さい。まだ一事忘れていた。当っているかいないか、一寸試して見ますから」
 係の男は、呆気《あっけ》に取られたまま、再びクランクを始めた。
 司法主任は、極度の興奮のために歯をカチカチ鳴らしながら、静かに降りて来る広告気球《バルーン》と、喬介の横顔と、そうして係の男の挙動とを、等分に見較べながらつっ立っていた。
 やがて広告気球《バルーン》が降り切って、その可愛い天体の様な姿を私達の頭上に横たえると、喬介は瓦斯注入口《ガスゲート》の弁を開いてその中へ細い手首を差し込み、暫く気嚢の内底部を掻き廻していたが、間もなく美しい首飾を一つ取り出した。
「図太い野郎だ!」
 司法主任が係の男にとびかかろうとした。
「お待ちなさい。人違いですよ。犯人はバルーンです。この軽気球です。ほら、これを御覧なさい」
 喬介が、瓦斯注入口《ガスゲート》の金具、弁、新しく発見された首飾の三点に、先程の「灰色粉」を振り掛けて刷毛で払うと、三点共に同じ様な幾つかの指紋が、見る見る検出されて来た。
「御覧なさい。この人の指紋ではないでしょう?」
「ふーむ。確かに被害者野口達市の指紋だ」
 司法主任はまるで狐につままれた態《かたち》だ。喬介は私の方を振向いた。
「君。済まないがね。中央気象台へ電話を掛けて、昨晩の東京地方の気象を問い合せて下さい」
 喬介の命ずるままに六階へ降りた私は、其処の電話室で任務を済ますと、結果をノートヘ記入して再び屋上へ帰って来た。喬介は、私の渡したノートを受け取ると、
「いや、有難う。753粍《ミリ》の低気圧と西南の強風か。さあ、もう用事は済みましたからバルーンを揚げて下さい。さて、これから結論の説明に移りましょう」
 言い終ると喬介は、上昇して行く広告気球《バルーン》を見上げながら煙草に火を点け、静かに口を切った。
「私は先ず、第一に、犯人は宿直員以外の強力な男である事、――この場合戸締りが厳重であった事を考慮に入れて置く――。第二に、犯行は屋上で為《な》された事、――この場合植込みにも鉄柵にもタイル床の上にも、何等の痕跡がないと言う消極的な手
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