しく周囲の皮膚が擦りむけていたね。一体人間の皮膚と言う奴は、勿論生きている人間の、而《しか》も薄い上皮ではなくあの屍人《しにん》のそれの様に一枚下の厚い奴の事だよ。そう言う皮膚は、あんなに易々《やすやす》と傷口の周囲までまくれて了《しま》うものかね? 僕はそう思えないんだ。只《ただ》、もう息の通《かよ》っていない、そろそろ虫の湧《わ》きかかりそうな、或は又、数日間水浸しになっていたとか言う様な屍体では、そう言う事も信じられる。で、この考え方からして、最も妥当な順序を立てて見ると、先ず最初被害者は、鋭利な刃物で心臓を一突きに刺されて絶命する。次に後手《うしろで》に縛り挙げられ、重《おもし》を着けられて海中へ投げ込まれる。茲《ここ》で暫く時間を置いて、次にあの致命的な打撲傷と恐るべき擦過傷が幾分柔かくなった肌へ加えられる。茲で面白い証拠を僕は見ておいたよ。後手に縛られた両腕の表側には擦過傷があるが、腕の後側や腕の下に当る胸の横から背中の一部へかけては、衣服の綻《ほころ》びさえも見られない事だ。次に、あの黒い機械油のシミ[#「シミ」に傍点]だが、溶け加減と言い、染み工合と言い、確かに暫く水浸しになっていたに違いはないが、凡《すべ》ての傷の一番最後から着いたものなんだ。何故《なぜ》ってあの油は、背中の上部の上衣《うわぎ》から、綻《ほころ》びの中のジャケットや擦《す》り破れた肌の上まで、そして縛られた麻縄の表側へまでも、ひっこすった様に着いていたか轤ヒ。さあ、これで一通りこの方は済んだ積《つも》りだ。ひとつ、これから殺人の現場《げんじょう》を調べて見ようじゃあないか。』
 喬介はこう言って、鉄工場の方へどんどん歩き出した。私は驚いて思わず声を挙《あ》げた。
『エッ! 殺人の現場? どうして君はそれを知っているんだ。』
 私の質問に微笑を浮べた喬介は、歩きながら言葉を続けた。
『ふむ。何でもないさ。君はあの死人の左の顔面に気味悪いソバカスのあったのを覚えているだろう。僕はあれを見た瞬間に、ソバカスが顔の一方に丈《だ》けあるのを不思議に思ったんだ。で、よく調べて見ると、なんの事はない鉄の切屑《きりくず》の粉が一面にめり込んでいるのさ。つまり、ソバカスと思った小《ち》いさな斑点は、被害者が心臓を突き刺されて、俯向《うつむき》になった儘《まま》バッタリとノビて了《しま》ったトタンに、
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