面に、深い擦過傷《さっかしょう》が、幾つも幾つも遠慮なく付いている。裸《はだ》けられた胸部には、丁度《ちょうど》心臓の真上の処《ところ》に、細長い穴がぽっかり開《あ》いて、その口元には、白い肉片がむしり出ていた。
『メスで突き刺したんだね。これが致命傷なんだよ。』
 喬介は私にそう告げ終ると、尚《なお》も屍体を調べ続けた。顔面はそれ程引き歪められていると言う方ではないが、只《ただ》左の顔だけ一面にソバカスの出来ているのが、なんとなく気味悪く思われた。喬介は又喬介で、どう言うつもりかそのソバカスに顔を近付け、御丁寧に調べ廻していた。が、軈《やが》て屍体を裏返すと、呆れた様に私を見返った。成る程、屍体の後頭部には鉄の棒で殴り付けた様な穴が、破壊された骨片《こっぺん》をむき出して酷《むごた》らしくぶちぬかれている。屍体の背面には表側と同じ様に、深い擦過傷が所々《しょしょ》に喰い込み、労働服の背中にはまだ柔い黒色《こくしょく》の機械油が、引き裂かれた上着の下のジャケットの辺《あた》りまで、引っこすった様にべっとりと染み込んでいる。そしておよそ私達を吃驚《びっくり》さした事には、後へ廻された両の手首は丈夫な麻縄で堅く縛られ、すっこき[#「すっこき」に傍点]の結び玉から何にかへくくり付けた様に飛び出している綱の続きは、一|呎《フィート》程の処で荒々しく千切《ちぎ》れている事だ。黒い機械油は、手首から麻縄の上までべっとり染み付いている。
 一通りの検屍を終った喬介は、傍《そば》の婦人に向って静《しずか》に口を切った。
『いやどうも失礼いたしました。早速《さっそく》で恐縮の至りなんですが、御主人が行方不明になられた晩の模様をお聞かせ下さいませんか?』
『と言いますと?』
『つまりですな。御主人が最後に家《うち》を出られた時の様子です。』
『ハイ。』婦人は涙を拭いながら話し始めた。
『あの晩工場から暗くなってから帰って来た主人は、御飯を食べると急な夜業《やぎょう》があるからと言って直《す》ぐに出て行《ゆ》きました。』
『一寸《ちょっと》待って下さい。』と喬介は側に立っていた菜葉服《なっぱふく》の一人に向って、『その晩、夜業は確かにあったんですね?』
『いいえ。夜業はなかったです。』労働者が答えた。
『なかった? ふむ。ないものをあると言うからには、何か知られ度《た》くない事情があった
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