もわけ[#「わけ」に傍点]もいまだにみつからないってことになったんですから、菱沼さんが気狂いみたいになったのもムリないです。いやそうなると益々菱沼さんにはその三つの証言を偶然だなんて思えなくなって来て、それどころか「つぼ半」の女将ってのがトテツもなく恐ろしい女に思われて来て、自分だけがチョイチョイ出しゃばってえて[#「えて」に傍点]勝手な証言をするだけではなく、ひょっとすると、その合間合間のいろんな事件にも手下でも使って、面白半分四方八方メチャクチャの証言でもさしてるんではないか、いや、又そうなるとだいたい裁判所へ出て来る証人なんてものは殆んど全部がこの「つぼ半」の女将と同じデンではあるまいか、なぞと――もっともこれは平常《ふだん》でもチョイチョイ起る菱沼さんの変テコな頭の病気なんだそうですが……ま、とにかくそんなわけで、すっかり先生、途方に暮れちまったんですよ。
そうして、いよいよ公判期日の前日になっても、その関係やわけ[#「わけ」に傍点]がみつからないと、とうとう菱沼さんは、思い余って、なんでも知人の青山《あおやま》とかいう人に、事情を詳しく打明けて、相談を持ちかけたんです。
いや、ところが……この青山さんは、なんでも学問もやれば探偵もやるって云う、どえらい人でして、菱沼さんの頼んで行ったことを、二つ返事で引受けちまったってんですから、どうです大したもんでしょう……
これからいよいよ本舞台にはいって、その青山さんって方《かた》の登場になるんですが……いや、まったく、この人の頭のよさにはホトホト吃驚《びっくり》しちまいましたよ。なんしろ、菱沼さんが、あれだけ脳味噌を絞っても解決出来なかった問題を、バタバタッと片附けてしまわれたんですからね。
さて、いよいよ次回の公判が、やって来たんです。むろんこの公判では証拠調べもむし返されるんですから、「つぼ半」の女将も出廷しました……それで、まず青山さんは、あらかじめ菱沼さんへ、「どんな成行になっても構わないから、とにかく判決だけは少しでも遅らすようにネバってくれ」と頼んでおいて、御自身は傍聴人のようなふりをして傍聴席へおさまるとそこから一応裁判を監視? というと変ですが、ま、すまし込んで見物されたんです。……その前方《まえ》の弁護士席では、被告や女将なぞと並んで菱沼さんが、わけは判らぬながらもそれでも一生懸命に、裁判官達を向うに廻して、そのネバリ戦術を始めたんです。いや、先生、確かに緊張してましたよ……
ところが、二時間ばかりして、ひとまず昼の休憩時間に這入ると、退廷した青山さんは傍聴人の休憩室で一服すると、直ぐにどこかへ飛び出して行ったんです。私は、昼飯でも食べに行かれたんかと思ってるとやがて写真機みたいなものを持って帰って来られたんですが……どうです、それから菱沼さんを通じて、この私へ、大変なことを頼んで来られたんですよ……なんでも、菱沼さんの云われるには、
「他でもないが、午後の公判が始ったら、判検事席の後ろの扉《ドア》を一寸開けて、この写真機で、人に知られないようにパチッと公判廷を撮《うつ》してくれ。なに訳なく出来るよ。もうちゃんと仕掛けてあるんだから。是非頼む……」
いや、どうも大変なことを頼まれたもんです。第一こちとらア、写真を撮したことなぞないんですからね……それに、だいたい公判廷なぞ写真にとって、一体どうしようってんでしょう? 全く妙ですよ。いやしかし、そう云う菱沼さんも、なんのことやらろくに判りもしないで頼んでるんですから、気の毒みたいなもんで……それに、こう見えたって私も江戸ッ子でさア、虫のいどころによっちゃアどんなことでも引受けかねない気性ですから、
「よござんす」思い切って引受けましたよ。
さアそれからいよいよ午後の公判です。ところが……全く、運がいいと云うもんですよ。裁判長が眼鏡を忘れて入廷したんです。で早速そいつを届けに判検事席へ上ったんですが、引ッ返す戸口のところで、こう向うの低いところにいる菱沼さんの方へ向けて、例のものを抜《ぬか》らずパチッとやらかし、そしてそのパチッて音をまぎらすようにバタンと扉《ドア》を締めたんですが、なんだかパチッて音のほうがひどく耳に残って、思わず冷汗をかきましたよ……しかし大丈夫でした。向うの傍聴人の中には、写真機をみつけた人があったかも知れませんが、大体うまくいきましたよ……なんしろあれが、あとにもさきにも、私の始めての写真撮りなんでして。
さて、ところで一方、公判廷なんですが……いやこれが実は、その日の公判のうちに、判決を済《すま》してしまいたいって検事さんの予定だったんだそうですが、先刻《さっき》も申上げたようになるべく判決を遅くらしてくれって青山さんの註文で、菱沼さん、ムキになってネバり続けた甲斐あって、大分てまどり、結局判決は翌日に廻されることになったんです。
そして閉廷になると、早速青山さんは……なかなか元気のいい人でしたよ……私のとこへ来て、叮寧に礼まで云われながら、例の写真機を持って帰って行かれましたが、いやしかし、それに引きかえて菱沼さんは、少なからずいらいらしてみえましたよ。そしてこの菱沼さんの「いらいら」は翌《あく》る日まで持越されていたんです……もっとも無理もないんで、その問題の翌る日になって、いよいよ開廷時間が迫るまで、どうしてしまったのか肝心|要《かなめ》の青山さんが、とんと姿を見せなかったんですからね……
さて、いよいよその当日のことです。
青山さんは姿を見せない。時間は追々迫ります。有罪か? 無罪か? どのみち今日は判決が下されます。このままで行けば、とても有罪は免れまい――菱沼さんは気が気ではありません。しかし時間のほうは待ってくれません。やがてまず、傍聴人達がドヤドヤと入廷します。続いて書記さんが、書類を持って登壇する。その後から検事さん、裁判長。一方前の平場《ひらば》へは、被告人、菱沼さん、と云った風に、ま、昨日《きのう》の公判廷と同じような顔触れが揃ったんです……もっとも菱沼さんはひどくそわそわして辺りを見廻してばかりいましたがね……
ところが、そうして皆んなの顔触れが揃うと、まるで皆んなが入廷してしまうのを待ってでもいたように……どうです、ひょっこり青山さんが、入口に現れたんです。そして、少なからず周章《あわ》ててしまった菱沼さんには、物も云わず、壇上の裁判長に、ちょっと、こう眼で会釈したんです。するともう、予《かね》て打合せてでもしてあったと見えて、裁判長が、黙って頷いたんです……いや、驚きましたよ……ところがどうです。すると青山さんは、戸外《そと》の後ろを振返って、チラッと誰かに眼配《めくばせ》したんですが、その合図を待ってたように、多勢の警官達がドヤドヤッと法廷へ雪崩《なだ》れ込んで来たんですよ……驚きましたね……
いったい、警官達は誰を捕えに来たと思います……え? 飛んでもない……はいって来た警官達は、すぐにバラバラと散り拡がると、どうです、キチンと着席して、これから始まろうと云う公判を固唾《かたず》を飲んで待ちかまえていた傍聴人を――そうですね、十四人でしたかね。もっとも被告の関係者は別ですがね……とにかくその、なんのとが[#「とが」に傍点]も関係もなさそうなアカの他人の傍聴人達を、グルッと取巻いちまったんです。一網打尽って形ですよ……いや全く、面喰《めんくら》いましたよ……すると、真ッ先にその傍聴群の真中へんにいた、こうゴルフ・パンツとかって奴をはいた男が、鳥打帽子をひッつかんでバタバタと逃げだしたんです。むろん、直ぐに押えられましたよ。すると青山さんが、その男の前へ行って、
「あんたが、福田きぬさんの御亭主でしょう? ちょっと身体検査をさして貰います」
とすぐに警官の手によって上着をムキ取られてしまったんですが、するとどうです、チョッキのかくしから、茶色の封筒が一枚抜き出されて来たんですが、開けてみると、中から小さな紙片《かみきれ》が、なんでも十二、三枚出て来ましたよ……それでその紙片には「無罪 片岡八郎《かたおかはちろう》」だとか、「無罪 小田清一《おだせいいち》」だとか、「有罪 峰野義明《みねのよしあき》」だとか、まるでなんかの入れ札みたいな調子で、てんでに勝手な判決文みたいな、無罪だとか有罪だとかって文字が、名前と一緒に書いてあるんです……もっとも七分通りは無罪が多かったんですがね……いや、むろんそうしている間にも、捕えられた傍聴人達は、あっちこっちで各々抵抗したり、格闘したりしておりましたが、やがて主だった警官の命令で、全部引立てられ、いつの間にか裁判所の前に止まって待っていたトラックに積まれて、警察へ運ばれて行きました……。
一方、間の抜けた法廷では、やがて裁判長が立上がると、あとに残った少しばかりの人々に向って、
「都合により、判決は、明日に延期します」
ってやったんです。――静かなもんでしたよ……
いや、もうお判りになったでしょう……その連中は、妙な博奕《ばくち》を打ってたんですよ。なんでも、あとから詳しく青山さんの御説明を聞いたんですが、むろんこの首謀者は、「つぼ半」の女将の亭主なんですがね、これがまた、あとで泥を吐いたところによると、実に不敵な悪党でしてね、もうずっと以前《まえ》から法廷で博奕をやってたってんですよ。……つまり、常連の傍聴人になり済まして、傍聴しつつある窃盗事件や詐欺事件や、その他いろいろの事件に就いて、有罪か? 無罪か? と云うことに金を賭けて勝負を決するんです。なんでもゴルフ・パンツの云うことにゃ、こいつあ、どんな博奕よりも、なんかこう、ぞくぞくするような別の魅力があって、とても面白いんだそうですよ……飛んでもないことですが、まったく、一人の人間が罪になるかならぬかで決るんですから、そりゃアただの博奕なんかよりは性《しょう》が悪いだけに、それだけまた面白いんでしょう……いや、競馬どころの騒ぎじゃアありませんよ……それで、最初は、二、三人の仲間同志でやってたんだそうですが、もともと玄人《くろうと》同志がやってたんでは互《たがい》損《そん》ですから、やがて素人《しろうと》を引入れ始めたんです……つまり、休憩で退廷した時なぞに、休憩室で遊び半分の傍聴者を誘って、今度の事件はどうなるでしょう、なんてことを引ッ懸りにして、それじゃアひとつ賭をやろうじゃアありませんか、とまア、そんな風に仲間に引入れるんです。むろん勝敗の結果は、やっぱり玄人側の方がいつも出掛けて裁判の成行きと云うようなものになれ[#「なれ」に傍点]て来てますので、多少ともずぶ[#「ずぶ」に傍点]の素人よりは、先見の明《めい》ったようなものが出来てますので、勝が多い――図に乗って、だんだん病が深入りし、とうとう今度のように、証拠不充分で皆目見当のつかないような裁判に、女房なんか使ってトテツもない大それた事をしはじめたんです……
いやまったく、呆れ果ててものが云えませんよ……しかし、それにしてもその青山さんの電光石火ぶりには、ほとほと感心しましたよ……なんでも青山さんは、最初菱沼さんから詳しく話を聞いた時に、どうも「つぼ半」の女将が、どっちへ転ぶか判らんような事件にばっかり登場することや、どの被告人とも全然無関係で、被告や検事から呼び出したのでなく自分の方から話を持ちかけて出頭していることや、証拠物件はなく、ただ見たとか見なかったとかの証言ばかりだ、なぞと云うようないろいろの点を考え合せて、どうもこれは女将が法廷の事情に明るいところから見て、きっと法廷内に誰れか相棒がいるに違いないと狙いをつけて、まず傍聴人の仲間入りをしたわけなんです。それで傍聴席や休憩室で早くも妙な気配を感ずると、早速私に命じて例の写真をとらしたんです。その写真を、直ぐに現像すると青山さんは、「つぼ半」へ遊びに上ったんだそうですが、そこで何気なく女中にその写真を見せてカマをかけると「おや、この中に、うちの旦那さんがいる」ってことが判って、それで、いよいよ、あ
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