根本松江氏もお初ちやんも何か書いてゐる。それで私たちはすぐ其雜誌へ投書をはじめた。服部氏たちとは再び手紙の往復が始められるやうになつた。時代は明治三十年代の終りから四十年に進んでゐた。投書雜誌の常として一年二年と經過するうちに始終すぐれた誰それといふ人が出來がちなもので、女子文壇でも創作欄はお貞さんの時代ともいふべきものがあり、詩壇では私が時代をつくつてゐた。若山喜志子さん、長曾我部菊子さんなど、各時代をつくつた人々であつた。
時代をつくるやうになると本人はいつ出しても相當の成績ををさめるし新鮮な興味を失つてくる。そこでお貞さんは巧に躍進していつの間にか女子文壇を去り博文館の文章世界の投書家となつてしまつた。そこでも忽ち群をぬいて投書家の中で優秀組、今の東寳社長秦豊吉氏だの川浪道三氏だのといふ人々と新進若手として時には本流文壇の人々の批評にものぼるやうな進歩のあとを見せてゐた。文章世界の編輯主任に田山花袋氏が居た。花袋氏は人も知る其當時我國文壇の浪漫的幻夢的のものの行き方といさぎよく分れて、あくまで現實的に現實のままを客觀描寫風に太くたくましく押し進むといふ信念をも述べられ其行き方をとつて居られたが、お貞さんは其師風を最もよく呑みこみ同じ信念のもとに師のあとを進まれた。明治四十二年二月の文章世界は投書家の優秀な者に新作を掲載させた。お貞さんの其時の作は「徒勞」といふもので田山花袋氏の激賞を受け、一般文壇的にも此作によつてお貞さんの名は女流作家として自他ともに許すやうになつた。
實姉の異状姙娠の分娩の有樣を克明に描寫したものであつた。
明治四十三年五月の作「四十餘日」の前驅をなす作といつて差支へない、同じ系統のものといつてよいと思ふ作は大正元年九月發表の「女醫の話」であらう。女と姙娠の問題を深刻に大膽に觀察描寫した作と言つてよかつた。それは即ちお貞さんの心にある女としての重大な問題であつた。其事はお貞さんと交際のあつた人はよく知つてゐる。別に異状な、さういふ點で祕密めかしい事がお貞さんにあつたといふのではない。お貞さんは生れつき眞面目な婦人であり思想も信念もきはめて堅實な人であつた。女として姙娠といふ特別な約束に結ばれる自然の現象に對して、怒つてよいか、憐んでよいか、笑つてよいか、泣いてよいか解らぬといふやうに考へて、もしかすると其いづれもであつたかもしれない心の感慨を、書いても書いても書き盡せぬといふやうに思つてゐたらしい。たとへば「女醫の話」といふ作に、
「女を診察するには、どんな場合にでも姙娠といふ事を頭に置いてかからなければいけない」と語り出す。或る女醫の實地に出會した經驗のなかに十八歳になる娘が女醫學校へ老婆につれられて、病名のわからぬ病氣の診察を受けに來た話を書いたものである。醫者は其娘を姙娠と診斷した。「女を診察するにはどんな場合でも姙娠といふことを念頭に置かなければいけない」
と書いた。
お貞さんの姉さんは女醫學校の生徒さんであつたが、此女醫の話に出てくる女らしい觀察と誠に娘らしい純情とを此作のなかに汲みとる事が出來るのである。
[#ここから1字下げ]
さうさう、これは學生時代に、先生が話したことでしたが、某官吏の夫人がお産をして、一週間目に夫は臺灣に赴任したさうです。すると夫人の肥立がよくなつて來ると同時に、だんだんお腹が大きくなつて來たので、親戚の者が氣付いて大さわぎをやつた揚句、事の次第を報じてやると、間もなく夫からは「心配するな」といふ電報が來たさうです。この話を聞いた時分には、私も奇蹟を聞くやうな氣がしましたつけ。自然といふものは、時々皮肉な惡戯をやるものですよ。云々。私はただAの話をのべただけにとどめよう。これらの話に、徒に眉をひそめる人と、ある儚さを汲み得る人とは、その各の境遇に伴ふ心持に依つて別れるであらうと思ふから。
[#ここで字下げ終わり]
と其「女醫の話」の創作一篇は筆を止められてゐるが自分たち、お貞さんといふ人を知つてゐる者には此何氣ない數行の言葉のなかにも實によくお貞さんといふ人を語つてゐる。田山花袋氏によつて、小説家としての人生に對する心の据ゑ方ともいふべき態度を教へられ、言はず語らずのうちにも平面描寫の正しい效果を信頼しつづけたお貞さんの信念は此作の最後の二行によく表現されてゐると思ふ。そしてさきに言つたやうに眞面目に女性といふものの天來の儚い宿命、姙娠といふ事がいろいろの形をとつて或る時は自然の惡戯とも思はれるやうに出現してくる。婦人は其下に時には世に顏向けもならないやうな思ひを、正しく生きつつさせられねばならぬ事情におかれて居る事もある。女といふものの運命を冷然と描寫しようとしたお貞さんの此態度は途中崩れた事があつたと思ふ。有島武郎氏は仙子さんの藝術的生活には「凡そ三つの
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
今井 邦子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング