かんらと朗らかにうち笑つて別れてしまう。まことに男ぼれのする風格である。これほどの源太を、いよいよ先陣あらそいとなると、またもや「馬の腹帯ゆるみて見ゆるぞ」などと一度ならず二度までもだまして平気でいられるとしたら四郎という人間はよほど度しがたい。しかも宇治川の先陣といえば佐々木一人がいい子になつてしまつているが、源太は磨墨のような第二級の馬を宛てがわれながら、実力において優に佐々木を引き離していたのだ。四郎は謀略によつてかろうじて源太に勝つたのであるが、味方に対する謀略などはあまり賞められたものではない。源太にしてもまさか味方の謀略などは予期しなかつただろうから「御親切にありがとう」と感謝しながら腹帯を締めなおしたまでで、これをもつて源太をうすばかのように考えるならば考えるほうがよつぽどどうかしている。
 四郎のような抜けめのない利巧な人間は世の中にはありあまつて困るくらいだ。しかし、源太はいない。鉦や太鼓で探しても源太は寥々として虚しい。
 いつてみれば源太は万葉調で四郎は新古今調だ。
 四郎型が二枚目にしたてられて主人公となる世界においては源太型は常に赤面にしたてられて敵役となるのがきまりだ。中世以降、なかんずく徳川期におよんでその傾向は最も著しい。
 このような社会にあつてはすべてにおいて持つてまわつた謎のような表現がとうとばれ、形式だけの儀礼の形骸が重視される。したがつて直情径行は嘲笑と侮蔑の対象でしかなくなる。
 こうして一度倒錯した価値観は封建時代からずつと現代にまで根を引いているのであるが、それが本来の大和心からどんなに遠いものかは今さら言うまでもないことである。
 次に、近ごろ人の心に余裕を見出すことができなくなつたのが私には何よりも悲しい。それはどんな物質的欠乏よりも惨めだ。心の余裕は物質の窮迫を克服する力を持つている。逆境のどん底に楽天地を発見する力を持つている。砲弾の炸裂する中で空の美しさにうつとりとしたり、こおろぎの声に耳を澄ましたりする余裕のある人は必ず強い人に違いないと思う。逆境のドン底にあつてもしやれや冗談の言えるようになりたい。そして笑つて死にたいと思う。
 私は眉間に皺を寄せる競技には参加したくない。必要な時に十分なる緊張を持ち得るものでなくては、そして内面における真の緊張を持ち得るものでなくては本当の余裕は生じ難い。
 多分に人に見せるために、絶えず緊張をよそおう人は、内側は案外からつぽであるかもしれない。そしてこのような人に限つて余裕ある心を理解する力がなく、したがつて余裕ある人を見るとその外見だけから判断してただちに不真面目だとか緊張が足りないとかいつて攻撃する。
 攻撃される側ではつい世間なみに外面緊張形式を踏襲してあえて逆らわないように心がけるため、余裕の精神はますます視野から亡び去つて行く。こうしてコチコチの息の詰まりそうな精神状態が一世に彌漫《びまん》してしまうのである。
 こういえばある人たちはおそらく眉を逆立てて、今はそんなのんきなことを言つている時期ではないというかもしれない。そして余裕のことなどを論ずるのはもつと別の機会においてこれをなすべし、現在はもはやその余裕の存在を許さないと叫ぶかもしれない。
 しかし、私のいうところの余裕はあくまでも豊かな心からのみ生れる余裕のことであつて、客観的情勢によつて現われたり消えたりする安ものの余裕とは話が違うのである。死の瞬間において最も尊厳なる光芒を発揮するていのものである。
 そもそも我々の父祖伝来の大和心というものは私が右に述べたような意味における余裕の精神に充ち満ちたものではなかつたか。「風流」といい「みやび」といい「物のあはれ」といい、いずれも余裕の精神のさまざまな現われにほかならぬが、我々の父祖はそれらを決して単なる観念として机上に遊ばせておいたのではなかつた。生活の中に、行動の中に、血液の中にそれらを溶かしこんでいたのだ。それだからこそ政事の中に、風流が出てきたり、合戦の最中にもののあわれが出てきたりしても少しもおかしくないのだ。
 多くの軍記合戦の類を通じて我々の父祖たちがいかに堂々と討ちつ討たれつしたか、いかに悠揚と死んで行つたかを知るとき、私は余裕の精神が彼らの死の瞬間までいかにみごとに生き切つていたかを思わずにはいられない。
 思うに芸術の修行も要するに自己を鍛錬して、いかなる場合にもぐらつくことのない立派な余裕を築き上げることに尽きるようである。そして芸術の役割とは要するに人々の心に余裕の世界観を植えつけること以外にはなさそうである。(四月二十九日)[#地から2字上げ](『新映画』昭和十九年六月号)



底本:「新装版 伊丹万作全集2」筑摩書房
   1961(昭和36)年8月20日初版発行
   1982(
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