入りかわり立ちかわり面会に来るので、その下士官室は大変混雑していた。山中自身もすくなからず応接に忙殺されている形であつたので、長くはいずに帰つたが、この日の山中は元気がよかつた。
しばらくの間に兵営生活が身につき、彼自身も本当の一兵士に還元した安心と落ち着きとがあり、したがつてのびのびした自由さが感じられた。
この日以来私は山中を見ない。しかしいつかは(それもあまり遠からぬ将来において)必ず再会できるという確信のようなものを私はひそかにいだいていた。それにもかかわらず、あつけなく山中は死んでしまつた。
ある朝浅間山の噴火の記事を探していて、山中陣没の記事にぶちあたつた、腹立たしいほどのあつけなさ。浅間山なんぞはまだいくらでも噴火するだろう。しかし我々はもはやふたたび山中の笑顔を見ることができないということは、実感として何か非常に不思議なできごとのように思われてならない。それは我々を悲しませるよりもさきに人間の生命の可能性の限界を、身に突きさして示すようである。
私が初めて山中に会つたのは、たしか『都新聞』の小林氏の主催にかかる茶話会の席上であつた。時期はちようど山中がその出世作
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