多いのである。
このようなものがいくら入りかわり立ちかわり政治を担当しても、日本は一歩も前進することはないであろう。何よりもいけないことは、彼らのほとんど全部が時代感覚というものを持つていないことである。それは、彼らの旧態依然たる演説口調を二言三言聞いただけでもう十分なほどである。彼らは時代の思想を、時代の文化を理解していない。彼らは時代の教養標準からあまりにもかけ離れてしまつている、彼らは、蓄音機のようにただ、民主主義という言葉をくり返しさえすれば、時代について行けるように考えている。したがつてその抱懐する道徳理念は、支配階級に奉仕する奴隷的道徳をそのまま持ち越したものであり、いまだにこれを他人にまで強要しようとしている。
このような候補者の現状を見るとき、我々は制度としての民主政体を得たことを喜んでいる余裕がないほど、深い、より本質的な憂欝に陥らずにはいられない。
では、何がこのような現状を持ちきたしたのであろうか。現在の日本には、候補者として適当な、もつとすぐれた人材がいないのであろうか。そんなはずはない。決してそんなはずはないと私は信ずる。しからば、なぜそのような優れた人
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