もしろい。
我々はたとえてみれば一つの岩の取りつき方を研究している連中のようなものである。視野がその岩に限られているからふもとのことは考えられない。ふもとのほうから新しいコースを発見して登つてみようという野心と熱意に欠けているのである。それをなし得るのは新人のほかにはない。
実際において映画をおもしろくする効果からいえば一人の天才的なる新人の出現は十人の撮影所長の存在よりも意義深きものである。
ここ数年来、日本映画界の前線を受け持つ顔触れにたいした変化がないということは如上の見地からあまりめでたい話とはいえないのである。
次に現在の日本トーキーのおもしろくない重大原因の一つに資本家側の準備不足がある。
この準備不足が実際的には機械的不備、その他経済的無力となつて日夜仕事の遂行を妨害しているのである。
彼らは損してもうけることを知らない。損をしないでもうけようと欲の深いことを考えているから結局たいしたもうけもできないのである。早い話が日本にトーキー化が始まつてから数年。まだ完全に近い設備をもつてトーキーの仕事をしている撮影所がない。
一番最初に完全に近いトーキー設備を完了したものが一番もうけるにきまつているのであるが、だれもそれをしない。だからごらんのとおりいつまでたつてもどんぐりのせいくらべである。
我々の仕事は設備のあとに始まるものと心得ていたらこれが大変なまちがいであつた。
「まず製作せよ。しからばそのもうけによつて設備すべし」これが、日本の映画資本家のトーキーに対する態度である。どうしても設備よりも製作が先なのである。したがつて日本の監督たちは設備ができあがるまでトーキーの仕事を保留する自由を有しない。もしそんな料簡でいたならば彼らは永久にトーキーを作る機会を逸してしまうかもしれないのである。
なおトーキーの機械的不備の問題は撮影所だけにとどまらない。これを上映する館の再生機という難物が控えている。再生機にもピンからキリまであつて、田舎のほうではそのうちもつぱらキリのほうを使用しているから田舎におけるトーキーはときに沈黙の美徳を発揮する。
私の関係して作つたトーキーが郷里の地方へ廻つていつたが何をいつているのかまつたくわからなかつたという報告がきている。トーキーはものをいう機械であるから、トオゴオさんの向こうを張つて沈黙を守つたところで人がほめてはくれない。見物から金を取つてトーキーを上映するからには原音どおり再生できる機械を備えるのが館として当然の義務である。もし何らかの事情でそれをやる能力がない場合には経営を断念すべきである。やめもしないかわりに音も聞かせないというのはもはや実業の域を脱している。それはむしろ招魂祭の見せ物に近きものである。
ロシヤには俳優の出ない映画などもできているが、日本の興行価値を主とする映画で俳擾の出ない写真というのは目下のところではまずない。作者なり監督なりが直接見物に話しかけるということはないので、すべて俳優の演技を介してものをいうのであるから、俳優の演技というものはずいぶん重要な役割を受け持つているわけである。しかるに日本にはトーキー俳優というものはまだいない。ほとんど無声映画時代の俳優をそのまま使つているのである。その中にはトーキーに適している人もあるだろうが、同時に全然落第の組もある。その淘汰はまつたく行われていない。
口をきくということはおしでないかぎりだれにもできることであるが、商売として口をきくことになると案外難しいものである。早い話が不愉快な音声は困る。発音不明瞭は困る。小唄の一つも歌つて調子はずれは困る。というふうにいつてくると、もうそれだけで落第者続出の盛況である。
舞台のほうでは普通に口がきけるようになるには五年以上かかるものとされている。普通にというがこの普通が大変で、三階の客にも聞えることを意味しているのだからなかなか普通の普通ではない。経験のないものは大きな声さえ出せば聞えるだろうと考えるがそんなものではない。声が大きいということと、言葉が明瞭に聞き取れるということは必ずしも両立しない。死んだ松助などは家にいるときもあのとおりであろうと想像されるような発声のしかたであつたが劇場の隅々までよくとおつた。何十年の習練の結果が、彼に発声法の真髄を会得せしめたのであろう。
トーキーの発声の場合は舞台と違つて距離に打ちかつ努力を必要としないからそれだけ容易なわけである。どんな低いささやきも機械が適宜に拡大して観客の耳にまで持つて行つてくれるのだから世話はない。そのかわり機械は機械でいくら完全に近くなつても決して肉声そのものではない。ことに現在の日本の機械の能力では俳優が機械から受ける制限にはかなり不自由なものがある。
なおたとえ将来においてこの種の制限がはるかに減少するときがきたとしても、トーキー俳優にとつて発声法の習練が何より大切であることにかわりはない。なぜならば観客は語のわかりにくい発声を努力して聞き分けながら映画を楽しむだけの雅量を持つていないだろうし、同じくわかりやすい発声のうちでも特に耳に快く響く流麗なものにひかれるであろうから。
現在の映画俳優は発声に関するかぎり未熟というよりもまつたく無教養であるといつていい。しかも著名な俳優の大部分は無声映画時代の好運にあまやかされて泰平の夢をむさぼるになれているから、いまさら年期を入れ直して勉強を始めるような殊勝さは持ち合していないように見受ける。
そこでまず当分の間は、すなわちトーキー俳優として立派な成績を示す人々が出そろうまでは日本のトーキーはある程度以上におもしろくならないということになる。
次にトーキーになつてから録音に関する部署を受け持つ人たちが新たに加わつたわけであるが現在のところではこの人たちに対する選択がまつたく行われていない。我々の見解ではこの部署を受け持つにはかなり高度の才能を要求したいのであるが、現在のところでは才能もへちまもない。要するに機械をいじることのできる人でさえあれば大威張りでこの部署に着いて収まつているわけである。画面がクローズ・アップの場合は声を大きく録音し、ロングの場合は小さく録音しさえすればいいと心得ているような人たちに音をまかせて仕事をしなければならないのではなかなかおもしろい映画はできにくいのである。いまさら監督学の初めからおさらえをする手はないが、クローズ・アップとは何もだれかが側へ寄つてつくづく顔を打ち眺めましたということではないのである。
次に音楽といつてわるければ音響の整理でもいい。そういうものがいかに重大であるかということを各会社ともにいつせいに認めていない。
その証拠にまだ日本には耳の監督がいない。西洋のことは知らない。そういうものがあるかないか私は知らないが、トーキーを作るうえにおいてこれは絶対に必要なものである。もしもそんなものはいらないという監督がいたら試みに半音程調子の狂つた楽器を混えたオーケストラを、その人の前で演奏させてみればよい。その人がただちにその半音の狂いを訂正する人ならあるいは音楽監督を必要としないかもしれない。しかし訂正する人はめつたにいないはずである。自分では健全なつもりでいるが我々の耳は専門家からみればつんぼも同然のものである。
ところで現状の実際からみれば音響監督のことなど夢のような話で、ほとんど各社とも一つの作品に付随する音楽の全部を一晩か二晩で入れているありさまである。いいもわるいもない。選曲のはちの頭のといつているひまもない。何かしらん音が出ればそれで満足してうれしがつているのが現在の映画会社である。
さて今までは他人のことばかりいつてきたが今度はいよいよ監督の番である。大体において日本にはトーキー監督としてたいしたやつはいないという定評になつているようである。事私自身に関するかぎり、この定評には黙つて頭を下げても差支えないが、他の人々、たとえば伊藤大輔氏にしろ衣笠貞之助氏にしろ、また蒲田の島津保次郎氏にしろトーキー監督としてすぐれた人でないといえないと思う。
ともかく現在の機械的不備のなかであれだけの仕事をしたというだけでも私にとつてはまさしく驚異である。ことに伊藤氏の「丹下左膳」第二篇のごときは撮影上の設備その他あらゆる意味において世界最悪のコンディションのもとに作られたという点からいつても、ともかくあれだけおもしろいものが作られたということは私にとつては人間業とは思えないものがある。
したがつてこの人たちを理想的なコンディションのもとに置いて仕事をさせた場合を考えると日本のトーキーがつまらないなどとは容易にいえない気がするのである。
日本の監督たちはまだ一度も普通に仕事し得るコンディションのもとに置かれたことがないといつても決して失当ではないのである。一度も普通のコンディションのもとに置いてみないでいきなり評価を定めるのはいささか短慮に失するキライがありはしないか。
さて現在の日本のトーキーの製作状態は大体において私が以上もうし述べたようなぐあいであつて、この状態の中からおもしろいトーキーができあがつたらむしろ不思議と称してなんらはばかるところはないわけである。そしてこの状態はまだ当分続く見込みであるから、日本のトーキーもまだ当分おもしろくならないものと思つていただいて結構である。
かくて日本のトーキーがつまらないということは現在のところでは残念ながら一般的事実としてこれを認めなければなるまい。しかし、日本のトーキーがいかにつまらないといつても、つまらない点からいえば無声映画のほうがなおいつそうつまらないであろう。
[#地から2字上げ](『中央公論』昭和九年九月号。原題「トオキイ監督の苦悶――雑文的雑文――」)
底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
1961(昭和36)年7月10日初版発行
1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「中央公論」
1934(昭和9)年9月号
入力:鈴木厚司
校正:土屋隆
2007年7月25日作成
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