のおもしろさを決定するものは内容であり、内容を決定するものは原作である。したがつて原作をいいかげんに考えておきながら、いたずらにおもしろくないとか何とかいつて騒ぐのはあたかも空の池に魚を放つておいて魚が泳がないといつて騒ぐようなものである。今の日本の映画界の通弊は何でも監督監督と騒ぎまわることである。監督は一本の映画に関するかぎり、ありとあらゆる責任と義務を背負わされる。そしてそのかわりにほんのわずかな権限を。
 監督の実際は、会社の方針、検閲制度、経済的制御、機械的不備、スターの精神異常、こういつた種類のこわい鬼どもの昼寝のすきをねらつてささやかなる切紙細工をして遊んでいる子供にも似たはかない存在である。
 しかるに不幸にしていつたん作品ができあがつて世に現われるやいなや、この切紙細工のぼつちやんは突然防弾衣のごとく雨と降りくる攻撃の矢面に立たされる。そしてたちまちのうちにあわれはかなくのびてしまう。たとえば俳優の演技にしてもそれ自身独立した評価をくだされるというようなことは近ごろはほとんどないことである。うまいもまずいも監督の指揮いかんにあるというふうにみるのが通なるものの批評の仕
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