もしろい。
我々はたとえてみれば一つの岩の取りつき方を研究している連中のようなものである。視野がその岩に限られているからふもとのことは考えられない。ふもとのほうから新しいコースを発見して登つてみようという野心と熱意に欠けているのである。それをなし得るのは新人のほかにはない。
実際において映画をおもしろくする効果からいえば一人の天才的なる新人の出現は十人の撮影所長の存在よりも意義深きものである。
ここ数年来、日本映画界の前線を受け持つ顔触れにたいした変化がないということは如上の見地からあまりめでたい話とはいえないのである。
次に現在の日本トーキーのおもしろくない重大原因の一つに資本家側の準備不足がある。
この準備不足が実際的には機械的不備、その他経済的無力となつて日夜仕事の遂行を妨害しているのである。
彼らは損してもうけることを知らない。損をしないでもうけようと欲の深いことを考えているから結局たいしたもうけもできないのである。早い話が日本にトーキー化が始まつてから数年。まだ完全に近い設備をもつてトーキーの仕事をしている撮影所がない。
一番最初に完全に近いトーキー設備を完了
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