とえば私がいままで日活にいたと仮定する。そしていま私は会社がそれを希望しないのに自由に退社して松竹へ入社しようと試みたとする。この場合松竹は決して私を雇わないであろうし、また実際問題として松竹はたとえ私を雇いたくても雇えないのである。
つまり日活は会社の同意なくして退社したものの名まえを登録名簿から取り消さないでおくことができるし、日活が取り消さないものを松竹で雇い入れることは協定に反するからできないのである。そして協約を破った会社は、その相手会社に対して十万円の違約金を支払う義務がある。松竹が発狂しないかぎり十万円出して私を雇う心配はないからこの場合私に残された道は二つしかない。すなわち四社連盟以外の会社に就職するか、あるいは五年間映画界を隠退するかである。
五年間というのはこれも協定の条文によって定められたところであって、つまり五か年を経過すれば他の会社は私を雇ってもいいことになっているのである。しかし現在の私の身分では五年間(たとえそれが三年であっても同じことである。)の食いつなぎはとうてい不可能である。たとえ塩をなめてその間を食いつなぎ得たとしても、さて今から五年目に、さあ伊丹万作作品でございと売り出しがきくかどうか。
映画界という所は忘れっぽい所である。ここの五年は他の世界の十年、十五年に該当する。私は相当うぬぼれの強い人間であるが五年間作品を出さずにつないで行く自信はない。
すなわち映画界で五年間の休業をしいられることは実際問題として生きながら干《ひ》ぼしにされることと何らえらぶところはないのである。
してみるとここに設けられた五年という期間は単に文書上の体裁をつくろうにすぎないのであって、この規約条項制定の精神をわかりやすくいえば「自由退社をあえてするものにはふたたび立つあたわざる致命傷を与う」という殺風景な文句となるのである。
しかし、我々の場合はまだいい。不幸引退のやむなきに立ちいたっても、明日から氷屋をやるくらいの資本と生活意欲は持っている。
これが、一銭のたくわえもない薄給俳優などの場合はどうなるか。
四社連盟以外の会社へ運動するにしても、わずかに東宝系のP・C・L、およびJ・O、各撮影所、千鳥系のマキノ撮影所くらいしかないが、これはいずれも仕事がやっと緒についたばかりであったり、あるいはやっと緒につこうとしつつあるところであっ
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