考えるまでもないことである。もちろんこのことはアクションの場合においても同様である。
要するに我々の人生はこれを芸術的に見れば数限りもない無意味な偶然と、無聊と倦怠と、停滞と混沌と、平凡にして単調なる、あるいは喧騒にしていとうべきことの無限の繰り返しによってその大部分を占められているのであるが、まずこれらの不用な部分を切り捨てて、有用な部分だけを拾いあげ、美的秩序に従ってこれを整理することが芸術的表現の根幹であり、無意味な偶然というものは畢竟《ひっきょう》不用の部分にすぎないのである。
○演出者によってあらかじめ計量し採択せられたる「偶然」は、もはや「偶然」ではない。
○十分なる理解と、十分なる信頼と、そして十分なる可撓性と。俳優の中にこれだけのものを発見した瞬間に演技指導の仕事は天国のように楽しくなり、演出者は自分が天才のように思えてくる。
○この仕事の制度上の位置が俳優に対して上位を占めていることを過信し、無反省に仕事の優位性の上に寝そべることは極めて危険である。しかし実際においては我々はたえず彼らの上に立ち、ときには叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]し、ときには命令しなければならぬ。つまりこの仕事を成り立たせるためには俳優に対して少なくとも形式的には自分自身を上位に保つことが必要なのである。しかしただ漫然と形式上の優位性にあまえることは厳に戒めなければならない。
我々はむしろ仕事の価値観のうえではまったく俳優と等位にあることを信ずべきである。しかしそれにもかかわらず我々はあくまでも自分の仕事に権威を持たなければならない。そしてそのためには仕事自体の持つ形式的な優位性などはすっかり抛擲《ほうてき》してしまうほうがいい。そして微量でもいいから自分一個の実力による権威ができあがってきて、つまりは極めて自然に自分自身を優位に導き得るように人間として芸術家としての自分を高めて行く努力をつづけるよりしかたがない。そしてかかる実質的な権威以外に真に自分を優位に支えてくれる力は決してあり得ないことを知るべきである。
○一般に演出者がある俳優を好きになることはいけない。好きになった瞬間に批判の眼は曇ってしまう。
しかしもしも意地悪きしゅうとのごとく冷い眼を持ちつづけることさえできるならば、演出者は安心して俳優に惚れこむべきである。
○演出者以外のものが、演技指導に関係のあることを直接俳優に言ってはいけない。
たとえば録音部が直接俳優にむかってせりふの調子の大小を注文したり、カメラマンが直接俳優にむかってアクションの修正を要求したりしてはならぬ。それらは必ず一度演出者を通じて行なわれねばならぬ。
○非常に低度の演技、つまり群衆の動きや背景的演技などを対象とする場合は必ずしも右の原則によらない。
(ただし群衆撮影の場合あまりカメラマン任せにすると、カメラマンの多くは群衆を一人残らず画面内に収めようとしすぎるため、画面外には人間が一人もいないことがわかるような撮り方をする傾向があるから注意を要する。)
○衣裳小道具などを俳優が勝手に注文してはいけない。
○俳優がはじめて扮装して現われた場合、演出者は必ずやり直しをさせるつもりで点検するがよい。でないと眼前に現われた俳優の扮装にうっかり釣りこまれてしまうおそれが多分にある。
演出者のいだいているものはいくら正しくても畢竟イメージにすぎないが、これに反して俳優の扮装はいくらまちがっていてもそれは実在であるから我々はともするとその現実性にだまされて「うむ、このほうがいいかな」と思ってしまうのである。
○仕事の場にのぞんで「さあ何かやってみせてください」という顔で演出者を見まもる俳優がいる。そういう俳優にむかって私は言う。「やって見せなきゃならないのは君のほうだよ」
○俳優のつごうによるせりふの改変を許してはいけない。一つでもそれを許したら、あとはもう支離滅裂である。しかしこれを完全に遂行するためには、演出者のほうでも仕事の途中でせりふを書直したり、未完成のシナリオで仕事にかかったりすることをやめなければいけない。
(これは秘密だが、もしも私が俳優だったらせりふをなおさずにやれるシナリオはただの一つもないじゃないかと言いたいような気がする。)
右の括弧の中は俳優に読まれたくないものだ。
○地面に線を引いてあらかじめ俳優の立ちどまる位置を確保したり、移動するカメラと俳優との間隔を一本の棒で固定したり、かようなあまりにも素朴な機械主義とは、もういいかげんに訣別したいものである。
人間がこんなにも機械の侮辱にあまんじていなければならぬ理由はない。
○テストのとき、厳密には本意気になれない性質の俳優があるようだ。これは理論的にはもちろんいけないことだが、実際問題と
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