においては制約の程度を強化せざるを得ず、そこに國民全体のデモクラシーを犧牲にし少數の指導者群の專制におちいる危險が包藏されるのである。イタリア、ドイツ、日本等が全体主義に後退し、遂にそのイデオロギーを國家的民族的野心の鬪爭の具に惡用するに到つたのは、ここにその最大の原因が存したのである。
 全体主義につき從來いろいろの見解があつたが、我等はこれにつき統制主義の時代性を理解せず、指導者群の專制に後退したもの、繰返していうが、その弊害は個人の專制以上に暴力的となつたものと見るのである。しかしそれにもかかはらず、統制主義は今日、眞の自由、眞のデモクラシーを確保するため、絶對に正しく且つ必要なる指導精神であり、既にその先例はアメリカ、イギリス等に示されている。我等は本文に強調したるごとく、東亞の地方性にもとづき、現實に即したる正しき統制主義の指導原理を具体化することによつてのみ、よく世界の平和と進運に寄與し得るであろう。[#地から2字上げ](二四、八、一〇)



底本:「石原莞爾全集 第二巻」石原莞爾全集刊行会
   1976(昭和51)年5月30日発行
入力:薦田佳子
校正:土屋隆
200
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