しかし農工一体の實現は、社會制度の革命なしには不可能である。日本の從來の家族は祖父母、父母、子、孫等の縱の系列をすべて抱擁し、これが經濟單位であり、且つ生活單位でもあつた。この家族制度は日本の傳統的美風とされたが、一面非常な不合理をも含んでいた。我等の理想社會は、經濟單位と生活單位とを完全に分離するものである。
 即ちそこでは、衣食住や育兒等の所謂家事勞働のすべては、部落の完備せる共同施設において、誠心と優秀なる技術によつて行われる。勿論家庭單位で婦人のみで行う場合より遙かに僅少の勞働力をもつて遙かに高い能率を發揮できよう。かくして合理的に節約される勞働力は、男女を問わずすべて村の生産に動員される。しかして各人の仕事は男女の性別によらず、各人の能力と関心によつてのみ決定する。生産の向上、生活の快適は期して待つべく、婦人開放の問題のごときも、かかる社會においてはじめて眞の解決を見るであろう。
 かくのごとき集團生活にとり、最も重要なる施設は住宅である。私は現在のところ、村人の數だけの旅客を常に宿泊せしめ得る、完備した近代的ホテルのごとき共同建築物が住宅として理想的だと考えている。最
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