正しき統制主義を逆に「全体主義」「フアツシヨ」等と惡罵しているのである。
 しかし比較的富に余裕あるイギリスのごときを見よ。既に社會主義政府の實現により立派に統制主義の体制に入つても、尚デモクラシーを確保することを妨げないではないか。フランスもまた同樣である。特にアメリカのごときは、ニウ・デイール、マーシヤル・プラン等の示すごとく雄大極まる統制主義の國家となりながら、どこまでもデモクラシーをのばしつつある。アメリカに比較すれば、富の余裕大ならざるイギリスにおいて種々の國營を實施しているのにたいし、最も富裕なるアメリカが、強力なる統制下に尚大いに自由なる活動を許容し得ていることは特に注目されねばならぬ。中國の三民主義は、東洋的先覺孫文によつてうちたてられた統制主義の指導原理である。現在中國の國富は貧弱であるが、國土廣大なるため、統制を行つても或程度自由をのばし得ている。
 この間の事情を人はよく理解すべきである。今日統制主義の体制をとらねばならぬことはいづれの國も同樣である。ただアメリカのごとき富裕なる國においては、最小の制約を加えることによつて、いよいよ自由をのばし得るが、しからざる國においては制約の程度を強化せざるを得ず、そこに國民全体のデモクラシーを犧牲にし少數の指導者群の專制におちいる危險が包藏されるのである。イタリア、ドイツ、日本等が全体主義に後退し、遂にそのイデオロギーを國家的民族的野心の鬪爭の具に惡用するに到つたのは、ここにその最大の原因が存したのである。
 全体主義につき從來いろいろの見解があつたが、我等はこれにつき統制主義の時代性を理解せず、指導者群の專制に後退したもの、繰返していうが、その弊害は個人の專制以上に暴力的となつたものと見るのである。しかしそれにもかかはらず、統制主義は今日、眞の自由、眞のデモクラシーを確保するため、絶對に正しく且つ必要なる指導精神であり、既にその先例はアメリカ、イギリス等に示されている。我等は本文に強調したるごとく、東亞の地方性にもとづき、現實に即したる正しき統制主義の指導原理を具体化することによつてのみ、よく世界の平和と進運に寄與し得るであろう。[#地から2字上げ](二四、八、一〇)



底本:「石原莞爾全集 第二巻」石原莞爾全集刊行会
   1976(昭和51)年5月30日発行
入力:薦田佳子
校正:土屋隆
2006年7月23日作成
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