る。
二、日本は統制主義國家として獨立せねばならぬ
アメリカは今日、日本を自由主義國家の範疇において獨立せしめんとしている。しかし嚴密なる意味における自由主義國家は、既に世界に存在しない。そもそも、世界をあげて自由主義から統制主義に移行したのは、統制主義の能率が自由主義に比べて遙かに高かつたからである。イタリア、ドイツ、日本等、いづれも統制主義の高き能率によつて、アメリカやイギリスの自由主義と輸贏を爭わんとしたのである。これがため世界平和を攪亂したことは嚴肅なる反省を要するが、それが廣く國民の心を得た事情には、十分理解すべき面が存するであろう。
ただしアメリカが自由主義から堂々と統制主義に前進したに反し、イタリアもドイツも日本も、遺憾ながら逆に專制主義に後退し、一部のものの獨裁に陷つた。眞のデモクラシーを呼號するソ連さえ、自由から統制えの前進をなし得ず、ナチに最も似た形式の獨裁的運營を行い、專制主義に後退した。唯一の例外に近きものは三民主義の中國のみである。かく觀じ來れば、世界は今日、統制主義のアメリカと專制主義に後退せるソ連との二大陣營の對立と見ることもできる。
この觀察にはいまだ徹底せざる不十分さがあるかも知れぬが、日本が獨立國家として再出發するに當つては、共産黨を斷然壓倒し得るごときイデオロギー中心の新政黨を結成し、正しき統制主義國家として獨立するのでなければ、國内の安定も世界平和えの寄與も到底望み得ざるものと確信する。
もしアメリカが日本を自由主義國家として立たしめんと欲するならば、日本の再建は遲々として進まず、アメリカの引上げはその希望に反して永く不可能となるであろう。しからば日本は結局、アメリカの部分的属領化せざるを得ず、兩國間の感情は著しく惡化する危險が多分にある。日本は今次の敗戰によつて、世界に先驅けた平和憲法を制定したが、一歩獨立方式を誤れば、神聖なる新日本の意義は完全に失われてしまうであろう。繰返して強調する、今日世界に自由主義國家はどこにもない。我等の尊敬するイギリスさえ統制主義國家となり、アメリカまた自由主義を標榜しつつ實質は大きく統制主義に飛躍しつつある。日本は世界の進運に從い、統制主義國家として新生してこそ過去に犯した世界平和攪亂の罪を正しく償い得るものである。
三、東亞的統制主義の確立――東亞連盟運動の回顧
世
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