レオンはロシヤの軍隊を簡単に撃破して、長駆モスコーまで侵入したのであるが、これはナポレオン軍隊の堅実な行動半径を越えた作戦であったために、そこに無理があった。従ってナポレオン軍の後方が危険となり、遂にモスコー退却の惨劇を演じて、大ナポレオン覇業の没落を来たしたのである。ロシヤを護った第一の力は、ロシヤの武力ではなく、その広大な国土であった。
第二次欧州大戦に於て、ソ連はドイツに対する唯一の強力な全体主義国防国家として、強大な武力をもっていた。統帥よろしきを得たならば、スターリン陣地を堅持して、ドイツと持久戦争を交え得る公算も、絶無ではなかったろうと考えられるが、ドイツの大奇襲にあい、スターリン陣地内に大打撃を受けて作戦不利に陥り、まさにモスコーをも失おうとしつつある。しかしスターリンが決心すれば、その広大な国土によって持久戦争を継続し得るものと想像される。
今次事変に於ける蒋介石の日本に対する持久戦争は中国の広大な土地に依存している。
右三つの原因の中、3項は時代性と見るべきでなく、国土の広大な地方に於ては両戦争の時代性が明確となり難い。ただし時代の進歩とともに、決戦戦争可能の範囲が逐次拡大することは当然であり、ある武力が全世界の至るところに決戦戦争を強制し得るときは、即ち最終戦争の可能性が生ずるときである。
1項は一般文化と不可分であり、2項は主として武器や築城に制約される問題であって、時代性と密接な関係がある。ただし海軍により海を以て完全な障害となし得る敵に対しては、今日までは決戦戦争が不可能であった。空軍が真の決戦軍隊となるとき、初めてその障害が全く力を失うのである。
即ち土地の広漠な東洋に於ては、両戦争の時代性が明確であると言い難いが、強国が相隣接し国土も余り広くなく、しかも覇道文明のために戦争の本場である欧州に於ては、両戦争が時代性と密に関連し、従って両戦争が交互に現われる傾向が顕著であった。特に現代の西欧では、軍隊の行動半径に対し土地の広さはますます小さくなり、しかも兵力の増加は敵正面の迂回を不可能にするため、戦争の性質は緊密に兵器の威力に関係し、全く時代の影響下に入ったものと言うべきである。
第九問 攻撃兵器が飛躍的に進歩しても、それに応じて防禦兵器もまた進歩するから、徹底した決戦戦争の出現は望み難いのではないか。
答 武器が攻防いずれに有利であるかが、戦争の性質が持久・決戦いずれになるかを決定する有力な原因である。
刀槍は裸体の個人間の闘争には決戦的武器であるが、鎧の進歩によってその威力は制限され、殊に築城に拠る敵を攻撃することは甚だしく困難となる。
小銃は攻撃よりも防禦に適する点が多い。殊に機関銃の防禦威力は、すこぶる大きい。これに対し、火砲は小銃に比し攻撃を有利にするが、その威力も築城と防禦方法の進歩により掣肘《せいちゅう》される。即ち近時の機関銃の出現と築城の進歩とは防禦威力を急速に高めたが、大口径火砲の大量使用は一時、敵線の突破を可能ならしめた。しかるに陣地が巧みに分散するに従って、火砲の支援による敵線の突破は再び至難となった。
戦車は攻撃的兵器である。第一次欧州大戦に於ける戦車の出現は、戦術界に大衝動を与えたが、その質と量とは未だ持久戦争から決戦戦争への変化を起させるまでには至らなかった。爾来二十数年、第二次欧州大戦に於ける戦車の数と質の大進歩は、空軍の威力と相俟って、ドイツ軍が弱小国及びフランスに果敢な決戦戦争を強制し得た原因の一つである。しかし真剣な努力を以てすれば、戦車の整備に対し対戦車砲の整備は却って容易であり、戦車による敵陣地の突破は、十分に準備した敵に対しては今日といえども必ずしも容易とは言えない。
しかるに飛行機となると、戦車が地上兵器としては極めて決戦的であるのに対しても、全く比較を絶する決戦的兵器である。地上の戦闘では土地が築城に利用され、場所によってはそのまま強い障害ともなり、防禦に偉大な力となる。水上では土地の如き利用物がなく、防禦戦闘は至難であり、防ぐ唯一の手段は攻めることである。更に空中戦に於ては、防禦は全く成立しない。
海上よりの攻撃に対する陸上の防禦は比較的容易である。大艦隊をもってしても、時代遅れの海岸要塞を攻略することの不可能であった歴史が多い。しかも海上から陸上を攻撃し得る範囲は極めて狭い。しかるに空中からの陸上や海上に対する攻撃の威力は極めて大きいのに対し、防空は至難である。対空射撃その他の防空戦闘の方法は進歩しても、成層圏にも行動し速度のますます大となる飛行機に対しては、小さな目標はとにかく、大都市の如き大目標防衛のための地上よりする防禦戦闘は、制空権を失えば、ほとんど不可能に近い。空軍のこの威力に対し、あらゆるものを地下に埋没しようとしても実行は至難であり、仮に可能としても、各種の能力を甚だしく低下させることは、まぬかれ難い。
空軍に対する国土の防衛は、ますます困難となるであろう。成層圏を自由自在に駆ける驚異的航空機、それに搭載して敵国の中枢部を破壊する革命的兵器は、あらゆる防禦手段を無効にして、決戦戦争の徹底を来たし、最終戦争を可能ならしめる。
第十問 最終戦争に於ける決戦兵器は航空機でなく、殺人光線や殺人電波等ではなかろうか。
答 小銃や大砲は直接敵を殺傷する兵器ではない。それによって撃ち出される弾丸が、殺傷破壊の威力を発揮するのである。軍艦の艦体即ち「ふね」は敵を撃破する能力はない。これに搭載される火砲や発射管から撃ち出される弾丸や魚雷によって敵艦を打ち沈める。
飛行機も軍艦と同様である。飛行機によって敵をいためるのではない。迅速に、遠距離に爆弾等を送り得ることが、飛行磯の兵器としての価値である。
もし殺人光線、殺人電波その他の恐るべき新兵器が数千、数万キロメートルの距離に猛威をほしいままにし得るに至ったならば、航空機が兵器としての絶対性を失い、空軍建設の必要がなくなるわけである。しかし最終戦争に用いられる直接敵を撃滅する兵器が、みずからかくの如き遠距離に威力を発揮し得ない限り、将来ますます行動力の飛躍的発展を見るべき航空機によることが必要であり、空軍が決戦軍隊として最終戦争に活用されなければならない。即ち破壊兵器として今日の爆弾に代る恐るべき大威力のものが発明されることと信ずるが、これを遠距離に運んで、敵を潰滅するために航空機が依然として必要であろう。
第十一問 最終戦争に於ける戦闘指揮単位は個人だと言うが、将来の飛行機はますます大型となり指揮単位が個人と言うのは当らないのではないか。
答 指揮単位が個人になるとの判断は、今日までの大勢、即ち大隊→中隊→小隊→分隊と分解して来た過程から推察して次は個人となるだろうというので、考えには無理がないようであるが、次に来たるべき戦闘方法に対する判断がつかないため、私としても質問者と同様、具体的に考えると何となく割り切れないものがある。最終戦争の実体は、われらの常識では想像し難い点が多く、決戦は空軍によると言っても、その空軍は今日の飛行機とは全く異なったものの出現が条件である。ここでは折角の質問に対し、私の常識的想像を述べることとする。決して権威ある回答ではない。
戦闘機は燃料の制限を受けて行動半径が小さいのみでなく、飛行機の進歩に伴い、余り小型のものは、いろいろな掣肘を受け、大型機の速度増加に対して在来の如き優位の保持が困難となるし、大型爆撃機の巧妙な編隊行動と武装の向上によって、戦闘機の価値は逐次低下するものと判断されたのである。しかるに支那事変及び第二次欧州大戦の経験によれは、制空権獲得のためには戦闘機の価値は依然として極めて高い。
敵に爆弾を投ずる爆撃機の任務は固より重大であるが、将来とも空中戦の主体は依然として戦闘機であるとも考えられる。動力の大革命が行なわれ小型戦闘機の行動半径が大いに飛躍すれば、戦闘機は空中戦の花形として、ますます重要な位置を占める可能性がある。大型機は編隊行動と火力のみでなく、装甲等による防禦をも企図するであろうが、空中では水上のような重量の大きな防禦設備は望み難く、小型機はその攻撃威力を十分に発揮できる。空中戦の優者が戦争の運命を左右し、空中戦の勝負は主として小型戦闘機で決せられるものとせば、指揮単位が個人と言うのが正しいこととなる。
第十二問 最終戦争に於ける戦闘指導精神はどうなると思うか。
答 現時の持久戦争から次の決戦戦争即ち最終戦争への変転は再三強調したように、真に超常識の大飛躍である。地上に於ける発達と異なり、想像に絶するものがある。数学的発達をなす兵数(全男子より全国民)、戦闘隊形の幾何学的解釈(面より体)、戦闘指揮単位(分隊より個人)は別として、運用に関する戦闘隊形が戦闘群の次にどんなものになるかは、戦闘方法が全く想像もつかないのであるから判断ができない。同じく運用に関する戦闘指導精神が統制の次に、いかなるものであるかも、全く判断に苦しむ。それでこの二つは正直に白欄にしてあるのであるが、敢えて大胆に意見を述べることとする。
統制には、混雑と力の重複を避けるために必要の強制即ち専制的威力を用いると同時に、各兵、各部隊の自主的独断的活動は更に多くを要求されるのである。専制的強制は自由活動を助長するためである(二八頁)。即ち統制は自由から専制への後退ではなく、自由と専制を巧みに総合、発展させた高次の指導精神でなければならない。
専制は封建時代に於ける社会の指導精神であり、封建はすべての優秀民族が一度は経験したところである。文化のある時期には封建を必要とするのである。朝鮮の近世の衰微は、過早に郡県政治が行なわれ、官吏の短い在職期間に、できるだけ多く搾取しようとした官僚政治により、遂に国民の生産的、建設的企図心を根底的に消磨し、生活し得る最小限度の生産が、人民の経済活動の目標となった結果であった。封建君主がその領土、人民を子孫に伝えるため、十分にこれを愛惜する専制政治は、その時代には最もよい制度であったのである。しかし人智の進歩は遂に専制下では十分にその進歩的能力を活用し得ないようになり、フランス革命前後に優秀諸民族の間に自由主義革命が逐次実行され、溌剌たる個人の創意が尊重されて、文明は驚異的進歩を見た。
しかし、ものにはすべて限度がある。個人自由の放任は社会の進歩とともに各種の摩擦を激化し、今日では無制限の自由は社会全体の能率を挙げ得ない有様となった。統制はこの弊害を是正し、社会の全能率を発揮させるために自然に発生して来た新時代の指導精神に外ならない。戦闘指導精神が自由から統制に進んだと同一理由である(二八頁)。
新しく統制に入るには、自由主義時代に行き過ぎた私益中心を抑えるために、最初は反動的に専制即ち強制を相当強く用いなければならないのは、やむを得ないことである。殊に社会的訓練の経験に乏しいわが国に於て、ややもすれば統制が自由からの進歩ではなく自由から統制への後退であるが如き場面をも生じたのは、自然の勢いと言わねばならぬ。しかし統制によって社会、国家の全能力を遺憾なく発揮するためにも、個人の創意、個人の熱情が依然として最も重要であるから、無益の摩擦、不経済な重複を回避し得る範用内に於て、ますます自由を尊重しなければならない。元来、理想的統制は心の統一を第一とし、法律的制限は最小限に止めるべきである。官憲統制よりも自治統制の範囲を拡大し得るようになることが望ましい。即ち統制訓練の進むに従って、専制的部面は逐次縮小されるべきである。
準決勝戦時代の統制訓練により、最終戦争時代の社会指導精神は、今日の統制より遥かに自由を尊重して、更に積極的に国家の全能力を発揮し得るものに進歩するであろう。「戦争史大観」では、兵役がフランス革命までの傭兵時代に於ては「職業」であったのに、フランス革命以後「義務」となったが、最終戦争時代は更に「義務」から「義勇」に進むものと予断している(一一八頁及び付表第二)。英米の傭兵を
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