後革命まで横隊、縦隊の利害は戦術上の重大問題として盛んに論争せられたが、大体に於て横隊説が優勢であった。一七九一年仏国の操典(一八三一年まで改正せられなかった)は依然横隊戦術の精神が在ったが、縦隊も認めらるる事となった。
要するに散兵戦術は当時の仏国民を代表する革命軍隊に適するのみならず、運動性に富み地形の交感を受くる事少なくかつ兵力を要点に集結使用するに便利で、殲滅戦略に入るため重要な要素をなしたのである。しかし世人が往々誤解するように横隊戦術に比し戦場に於て必ずしも徹底的に優越なものでなかったし(一八一五年ワーテルローでナポレオンはウエリントンの横隊戦術に敗れた)、決して仏国が好んで採用したものでもない。自然の要求が不知不識《しらずしらず》の間にここに至らしめたのである。「散兵は単なる応急策に過ぎなかった。余りに広く散開しかつ衝突を行なう際に指揮官の手許に充分の兵力が無くなる危険があったから、秩序が回復するに従い散兵を制限する事を試み、散兵、横隊、縦隊の三者を必要に応じて或いは同時に、或いは交互に使用した。故に新旧戦術の根本的差異は人の想像するようには甚だしく目立たず、その時代の人、なかんずく仏人は自己が親しく目撃する変化をほとんど意識せず、また諸種の例証に徴して新形式を組織的に完成する事にあまり意を用いざりし事実を窺い得る」とデルブリュック教授は論じている。
革命、革新の実体は多くかくの如きものであろう。具体案の持ち合わせもないくせに「革新」「革新」と観念的論議のみを事とする日本の革新論者は冷静にかかる事を考うべきであろう。
4、給養法の変化
国民軍隊となったことは、地方物資利用に依り給養を簡単ならしむる事になり、軍の行動に非常な自由を得たのである。殊に将校の平民化が将校行李の数を減じ、兵のためにも天幕の携行を廃したので一八〇六年戦争に於て仏・普両軍歩兵行李の比は一対八乃至一対十であった。
5、戦略の大変化
仏国革命に依って生まれた国民的軍隊、縦隊戦術、徴発給養の三素材より、新しき戦略を創造するためには大天才の頭脳が必要であった。これに選ばれたのがナポレオンである。
国民軍隊となった一七九四年以後も消耗戦略の旧態は改める事がなかった。一七九四年仏軍は敵をライン河に圧して両軍ライン河畔で相対峙し、僅か二三十万の軍がアルサス[#「アルサス」はママ]から北海に至る全地域に分散して土地の領有を争うたのであった。
ナポレオンはその天才的直観力に依って事物の真相を洞見し、革命に依って生じた軍事上の三要素を綜合してこれを戦略に活用した。兵力を迅速に決勝点に集結して敵の主力に対し一挙に決戦を強い、のち猛烈果敢にその勝利を追求してたちまち敵を屈服せしむる殲滅戦略により、革新的大成功を収め、全欧州を震駭せしめた。かくして決戦戦争の時代が展開された。
この殲滅戦略は今日の人々には全く当然の事でなんら異とするに足らないのであるが、前述したフリードリヒ大王の戦争の見地からすれば、真に驚嘆すべき革新である事が明らかとなるであろう。ナポレオン当時の人々は中々この真相を衝き難く、ナポレオンを軍神視する事となり、彼が白馬に乗って戦場に現われると敵味方不思議の力に打たれたのである。
ナポレオンの神秘を最初に発見したのは科学的な普国であった。一八〇六年の惨敗によりフリードリヒ大王の直伝たる夢より醒めた普国は、シャルンホルスト、グナイゼナウの力に依り新軍を送り、新戦略を体得し、ナポレオンのロシヤ遠征失敗後はしかるべき強敵となって遂にナポレオンを倒したのである。
フリードリヒ大王時代の軍事的教育を受け、ナポレオン戦争に参加したクラウゼウィッツはナポレオンの用兵術を組織化し、一八三一年彼の名著『戦争論』が出版せられた。
6、一七九六―九七年のイタリア作戦
一八〇五年をもって近世用兵術の発起点とする人が多い。二十万の大軍が広大なる正面をもって千キロ近き長距離を迅速に前進し、一挙に敵主力を捕捉殲滅したウルム作戦の壮観は、十八世紀の用兵術に対し最も明瞭に殲滅戦略の特徴を発揮したものである。しかしこれは外形上の問題で、新用兵術は既にナポレオン初期の戦争に明瞭に現われている。その意味で一七九六年のイタリア作戦、特にその初期作戦は最も興味深いものである。
クラウゼウィッツが「ボナパルトはアペニエンの地理はあたかも自分の衣嚢のように熟知していた」と云っているが如く、ナポレオンはイタリア軍に属して作戦に従事したこともあり、イタリア軍司令官に任ぜらるる前は公安委員会作戦部に服務してイタリアに於ける作戦計画を立案した事がある。
ナポレオンの立案せる計画は、当事者から即ち旧式用兵術の人々からは狂気者の計画と称して実行不可能のものと見られたのである。ナポレオ
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