。
ヨーロッパは元来アジアの一半島に過ぎない。あの狭い土地に多数の強力な民族が密集して多くの国家を営んでいる。西洋科学文明の発達はその諸民族闘争の所産と言える。東洋が王道文明の伝統を保ったのに対し、西洋が覇道文明の支配下に入った有力な原因は、この自然的環境の結果と見るべきである。覇道文明のため戦争の本場となり、且つ優れた選手が常時相対しており、戦場も手頃の広さである関係上、戦争の発達は西洋に於て、より系統的に現われたのは当然である。私の知識の不十分から、研究は自然に西洋戦史に偏したのであるが、戦争の形態に関する限り甚だしい不合理とは言えないと信ずる。
私の戦争史が西洋を正統的に取扱ったからとて、一般文明が西洋中心であると言うのではないことを特に強調する。
第八問 決戦・持久両戦争が時代的に交互するとの見解は果して正しいか。
答 ナポレオンはオーストリア、プロイセン等の国々に対しては見事な決戦戦争を強行したのであるが、スペインに対しては実行至難となり、またロシヤに対しては彼の全力を以てしても、ほとんど不可能であった。第二次欧州大戦で新興ナチス・ドイツはポーランド、オランダ、ユーゴー、ギリシャ等の弱小国家のみならず、フランスに対しても極めて強力に決戦戦争を強制した。ソ連に対しては開戦当初の大奇襲によって肝心の緒戦に大成功を収めながら、そう簡単には行かない状況にある。またナポレオンも英国に対しては十年にわたる持久戦争を余儀なくされたが、ヒットラーも英国に決戦戦争を強制することは至難である。
右の如く同一時代に於て、ある時には決戦戦争が行なわれ、ある所では持久戦争となったのである。決戦・持久両戦争が時代的に交互するとの見解は十分に検討されなければならない。
如何なる時、如何なる所に於ても、両交戦国の戦争力に甚だしい懸隔があるときは持久戦争とはならないのは、もちろんであり、第二次欧州大戦に於けるドイツと弱小国家との間の如き、これである。戦争本来の面目はもちろん決戦戦争にあるが、戦争力がほぼ相匹敵している国家間に持久戦争の行なわれる原因は次の如くである。
1 軍隊価値の低下
文芸復興以来の傭兵は全く職業軍人である。生命を的とする職業は少々無理があるために、如何に訓練した軍隊でも、徹底的にその武力を運用することは困難であった。これがフランス革命まで持久戦争となって
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