とを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終ろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならないと思うのであります。今は人類の歴史で空前絶後の重大な時期であります。
 世の中には、この支那事変を非常時と思って、これが終れは和やかな時代が来ると考えている人が今日もまだ相当にあるようです。そんな小っぽけな変革ではありません。昔は革命と革命との間には相当に長い非非常時、即ち常時があったのです。フランス革命から第一次欧州大戦の間も、一時はかなり世の中が和やかでありました。第一次欧州大戦以後の革命時は、まだ安定しておりません。しかしこの革命が終ると引きつづき次の大変局、即ち人類の最後の大決勝戦が来る。今日の非常時は次の超非常時と隣り合わせであります。今後数十年の間は人類の歴史が根本的に変化するところの最も重大な時期であります。この事を国民が認識すれば、余りむずかしい方法を用いなくても自然に精神総動員はできると私は考えます。東亜が仮に準決勝に残り得るとして誰と戦うか。私は先に米州じゃないかと想像しました。しかし、よく皆さんに了解して戴きたいことがあるのです。今は国と国との戦争は多く自分の国の利益のために戦うものと思っております。今日、日本とアメリカは睨み合いであります。あるいは戦争になるかも知れません。かれらから見れば蘭印を日本に独占されては困ると考え、日本から言えば何だアメリカは自分勝手のモンロー主義を振り廻しながら東亜の安定に口を入れるとは怪しからぬというわけで、多くは利害関係の戦争でありましょう。私はそんな戦争を、かれこれ言っているのでありません。世界の決勝戦というのは、そんな利害だけの問題ではないのです。世界人類の本当に長い間の共通のあこがれであった世界の統一、永遠の平和を達成するには、なるべく戦争などという乱暴な、残忍なことをしないで、刃《やいば》に※[#「血+半」、62−12]《ちぬ》らずして、そういう時代の招来されることを熱望するのであり、それが、われわれの日夜の祈りであります。しかしどうも遺憾ながら人間は、あまりに不完全です。理屈のやり合いや道徳談義だけでは、この大事業は、やれないらしいのです。世界に残された最後の選手権を持つ
前へ 次へ
全160ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング