ことで、日蓮聖人は末法の初めに生まれて来なければならないのに、最近の歴史的研究では像法に生まれたらしい。そうすると日蓮聖人は予言された人でないということになります。日蓮聖人の宗教が成り立つか否かという大問題が出現したというのに、日蓮聖人の門下は、歴史が曖昧で判らない、どれが本当か判らないと言って、みずから慰めています。そういう信者は結構でしょう。そうでない人は信用しない。一天四海皆帰妙法は夢となります。
 この重大問題を日蓮聖人の信者は曖昧にして過ごしているのです。観心本尊鈔に「当ニ知ルベシ此ノ四菩薩、折伏《シャクブク》ヲ現ズル時ハ賢王ト成ツテ愚王ヲ誠責《カイシャク》シ、摂受《ショウジュ》ヲ行ズル時ハ僧ト成ツテ正法ヲ弘持《グジ》ス」とあります。この二回の出現は経文の示すところによるも、共に末法の最初の五百年であると考えられます。そして摂受を行ずる場合の闘争は主として仏教内の争いと解すべきであります。明治の時代までは仏教徒全部が、日蓮聖人の生まれた時代は末法の初めの五百年だと信じていました。その時代に日蓮聖人が、いまだ像法だと言ったって通用しない。末法の初めとして行動されたのは当然であります。仏教徒が信じていた年代の計算によりますと、末法の最初の五百年は大体、叡山の坊さんが乱暴し始めた頃から信長の頃までであります。信長が法華や門徒を虐殺しましたが、あの時代は坊さん連中が暴力を揮った最後ですから、大体、仏の予言が的中したわけであります。
 折伏を現ずる場合の闘争は、世界の全面的戦争であるべきだと思います。この問題に関連して、今は仏滅後何年であるかを考えて見なけれはなりません。歴史学者の間ではむずかしい議論もあるらしいのですが、まず常識的に信じられている仏滅後二千四百三十年見当という見解をとって見ます。そうすると末法の初めは、西洋人がアメリカを発見しインドにやって来たとき、即ち東西両文明の争いが始まりかけたときです。その後、東西両文明の争いがだんだん深刻化して、正にそれが最後の世界的決勝戦になろうとしているのであります。
 明治の御世、即ち日蓮聖人の教義の全部が現われ了ったときに、初めて年代の疑問が起きて来たことは、仏様の神通力だろうと信じます。末法の最初の五百年を巧みに二つに使い分けをされたので、世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終了すべきものであろうと私は信
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