米国」たるべきことを明らかにしたが、「現在に於ける我が国防」は根本的に書き換えたのである。昭和四年の分は次の如くであった。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
1 欧州大戦に於けるドイツの敗戦を極端ならしめたるは、ドイツ参謀本部が戦争の本質を理解せざりしこと、また有力なる一原因なり。学者中には既に大戦前これに関する意見の一端を発表せるものあり、デルブリュック氏の如きこれなり。
2 日露戦争に於ける日本の戦争計画は「モルトケ」戦略の直訳にて勝利は天運によりしもの多し。
目下われらが考えおる日本の消耗戦争は作戦地域の広大なるために来たるものにして、欧州大戦のそれとは根本を異にし、むしろナポレオンの対英戦争と相似たるものあり。いわゆる国家総動員には重大なる誤断あり。もし百万の軍を動かさざるべからずとせば日本は破産の外なく、またもし勝利を得たりとするも戦後立つべからざる苦境に陥るべし。
3 露国の崩壊は天与の好機なり。
日本は目下の状態に於ては世界を相手とし東亜の天地に於て持久戦争を行ない、戦争を以て戦争を養う主義により、長年月の戦争により、良く工業の独立を完うし国力を充実して、次いで来るべき殲滅戦争を迎うるを得べし。
[#ここで字下げ終わり]
昭和四年頃はソ連は未だ混沌たる状態であり、日本の大陸経営を妨げるものは主として米国であった。昭和六年「満蒙問題解決のための戦争計画大綱」を起案している。固より簡単至極のものであるが当時、未だ「戦争計画」というような文字は使用されず、作戦計画以外の戦争に関する計画としては、いわゆる「総動員計画」なるものが企画せられつつあったが、内容は戦争計画の真の一部分に過ぎず、しかもその計画は第一次欧州大戦の経験による欧州諸国の方針の鵜呑みの傾向であったから、多少戦争の全体につき思索を続けていた私には記念すべき思い出の作品である。
昭和十三年には東亜の形勢が全く変化し、ソ連は厖大なその東亜兵備を以て北満を圧しており、米国は未だその鋒鋩《ほうぼう》を充分に現わしてはいなかったが、満州事変以来努力しつつあったその軍備は、いつ態度を強化せしむるかも計り難い。即ち日本は十年前の如く露国の崩壊に乗じ、主として米国を相手とし、戦争を以て戦争を養うような戦争を予期できない状態になっていたのである。
そこで持久戦争となるべきを予期して、米・ソ
前へ
次へ
全160ページ中69ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石原 莞爾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング