れた、その店の居周《いまわ》りを、いつまでもうろうろとしていた。そして時々向う側にまわって、遠くからその方を透《すか》して見たが、硝子障子をはめた店のなかは、はっきり見えなかった。
やがてそこらの店がしまって、ひっそりした暗い町の夜が、痛ましいほど更けて来た。お増はやっぱりそこを離れることができなかった。
五十八
その翌日、お増は半日外で遊び暮すつもりで、静子をつれて、お芳の店などを訪ねて見たが、いろいろ引っかかりのある気が滅入《めい》って、話がいつものようにはずまなかった。
「今度という今度は、どんなことしたって駄目なの。」
お増はいつもの茶の間で、お芳夫婦に話した。
「私が理窟を言えば、お前に理窟を言われるような、だらしのないことはしておかないって言うし、それじゃ田舎へ帰りますとそういえば、お前の方で勝手に出て行くんだから、お金なんざ一文もやらないって言うし、それは私もいろいろやって見ましたの。だけど、ああなっちゃとても駄目なの。」
諍《あらそ》えば諍うほど、お増は自分を離れて行く男の心の冷たい脈摶《みゃくはく》に触れるのが腹立たしかった。ある晩などは、お増はくやしまぎれに、鏡台から剃刀《かみそり》を取り出して、咽喉《のど》に突き立てようとしたほど、絶望的な感情が激昂《げっこう》していたが、後で入り込んで来る情婦《おんな》のことが、頭脳《あたま》に閃《ひらめ》いて、後へ気が惹かされた。
「私はどうしたって、お柳さんのようにはならない。」
お増は、じきに自分と自分の心を引き締めることが出来た。
「浅井さんを、旧《もと》の人間にしようっていうにゃ、どうしたってあなたの体から手を入れてかからなけあ、駄目だと私は思うがね。」
隠居は笑いながら言った。
「家のお芳をごらんなさい、体がぽちゃぽちゃしていますから、私のような老人《としより》じゃ喰い足りねえとみえて、店の若いものに、色目をつかやがってしようがありませんよ。」
隠居はふらふらした首つきをして、顔を顰《しか》めた。
お芳はみずみずした碧味《あおみ》がかった目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、紅い顔をしていた。
「それでまた不思議なもんでして、こいつを店へ出しておくと、おかねえとでは、売り高の点で大変な差がありますよ。」
調子づいて自分のことばかり言い立てる、お
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