は話をするやうになつた。
「渡瀬さんは何うなさいました。」お父さんはその令嬢が小さい時分、よく世話になつた医者で、私のダンス仲間である渡瀬ドクトルのことを私に聞いた。
渡瀬ドクトルは区内の名士であつたが、ダンスの研究にも熱心であつた。
「渡瀬さん困りますよ。肝臓癌になつちまつて。」私は暫く見舞ひを怠つてゐるドクトルのことを思ひ出した。
ドクトルも最近ここの牀で、マダムと踊つたこともあつたが、善良なこの人達の家庭をよく知つてゐた。彼は医者としてよりも、人として一種ヒイロイツクな人格の持主であつた。最近まであれほど頑健で、時とすると一夜のうちに五十回も立続けに踊つたり、政治批評や恋愛談に興がわくと、夜が白々明けるまで、私の家のストオブの傍で話しに耽つたりしてゐたのに、三月へ入つてから急に顔や手足が鬱金染《うこんぞ》めのやうに真黄色《まつきいろ》になつて来た。私達はストオブのある板敷の部屋や、私の物を書くテイブルの傍などで、屡々豊富なタンゴの新しいステツプを踏んで見せてゐた、肥つた小さい其の姿を、暫らく見ることがなかつた。
娘夫婦に道楽半分教習所をやらせてゐる彼は少し口元の筋肉をふるは
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