てそこに感情の不純が全くないとは言ひ切れなかつた。勿論K―から遠ざけられてゐるT―に、いくらかの助力と励みを与へたとしても、それは単にT―が人懐つこく縋つてくるからで、それとは何の関係もなかつた。K―への敵意でもなかつたし、認識された陰の好意からでは尚更らなかつた。追憶的な古い話が出ると、私は時々T―にきいた。
「兄さんこの頃何うしてるのかね。」
「兄ですか。家に引こんで本ばかり読んでゐますよ。もう大分白くなりましたよ。」
「兄さん白くなつたら困るだらう。」
「でも為方がないでせう。」
 さう言つて笑つてゐるT―が、一ト頃の私のやうに、髪を染めてゐることに、最近私はやつと気がついた。T―ももう順順にさういふ年頃になつてゐた。
 兎に角私はK―へ知らせておかなければならなかつた。私は文士録をくつて番号を調べてから、近くにある自働電話へかかつて行つた。耳覚えのある女の声がした。勿論それは夫人であつた。
「突然ですが、T―さんが私のところで、病気になつたんです。可なり重態らしいのです。」
「T―さんがお宅で。まあ。」
「電話では詳しいお話も出来かねますけれど、誰方か話のわかる方をお寄越しにな
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