《からか》うように言ったが、叔父は取り澄ました風をして莨を喫《ふか》しながら、ただ笑っていた。
 それから二、三日|経《た》ってから、ある晩方母親は正雄をつれて行ったが、一人で外へ出たことのないお庄も一緒に家を出た。
 そのころ引っ越した築地の家の様子は、お庄の目にも綺麗であった。三味線や月琴《げっきん》が茶の間の火鉢のところの壁にかかっている、そこから見える座敷の方には、暮に取りかえたばかりの畳が青々していた。その飾りつけも町屋風《まちやふう》で、新しい箪笥の上に、箱に入った人形や羽子板や鏡台が飾ってあり、その前に裁物板《たちものいた》や、敷紙などが置いてあった。
 田舎の町で、叔父が教師をしていた若い時分に、そこの商家から迎えたという妻は、堅気な風をして大柄の無愛想な女であった。
「私のところも、入る割りには交際は多いもんでね、せっかく正ちゃんをお引き受け申しても、お世話が出来ることやら出来ぬことやら、……。」と、叔母は茶箪笥のなかから、皮の干からびたような最中《もなか》に、気取った箸をつけて出してくれた。
「それに女のお児《こ》だと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
「どうでござんすか。あすこも出て来たきり、庄《これ》が厭がるもんだで、一向|音沙汰《おとさた》なしで……。」と、母親は四つになった末の弟とお庄との間に坐って、口不調法に挨拶していた。
 母親は病身な正雄の小さい時分のことや、食事の細いこと、気の弱いことなどを、弟嫁に話しかけていたが、子供を持ったことのない叔母には、その気持の受け取れようがなかった。お庄は骨張ったようなその大きな顔を、時々じろじろと眺めていた。
 母親は四つになる末の子を負《おぶ》いかけては、取りつきかかる正雄の顔を見ていた。
 やがてお庄は足の遅い母親を急《せ》き立てるようにして、道を歩いていた。
 母親は下宿にいても、何も手に着かないことが多かった。父親が妻子をここへあずけて田舎へ立ってから、もう一ト月の余にもなった。
「それでも為さあは田舎で何をしているだか、また方々酒でも飲んであるいて、こっちのことは忘れているずら。書けねえ手じゃなし、お安さあもぼんやりしていないで、手紙を一本本家の方へ出して見たらどうだえ。」
 主婦《あるじ》はランプの蔭で、ほどきものをしながら齲歯《むしば
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