入りを扱うことの巧《うま》かった父親は、自家《うち》の始末より、大きな家の世話役として役に立つ方であった。
 叔母は手箪笥《てだんす》や手文庫の底から見つけた古い証文や新しい書附けのようなものを父親の前に並べて、「何だか、これもちょっと見て下さいな。」と、むっちり肉づいた手に皺《しわ》を熨《の》した。
「うっかりあの人に見せられないような物ばかりでね。」と、叔母は道楽ものの亭主を恐れていたが、義兄《あに》の懐へ吸い込まれて行く高も少くなかった。
 店の品物が、だんだん棚曝《たなざら》しになったころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。
「堅くさえしていてくれれば、なかなか役に立つ人なんだけれど、どうもあの人も堅気の商人向きでないようでね。」と、叔母はしまいかけてある店頭《みせさき》へ来て、不幸なその嫂《あによめ》に話した。
 父親は、その姿を見ると、煙草入れを腰にさして、ふいと表へ出て行った。店には品物といっては、もう何ほどもなかった。雑作の買い手もついてしまったあとで、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片《ふるぎれ》、我楽多《がらくた》のような物がまた一《ひ》ト梱《こおり》も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行《はや》らないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断《ふだん》着せるものに不自由したことが、ひどく頭脳《あたま》に滲《し》み込んでいた。
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
 叔母は襤褸片《ぼろぎれ》や、風呂敷包みの取り散らかった部屋のなかに坐って、黒繻子の帯の間から、餞別に何やら紙に包んだものを取り出して、子供に渡したり、水引きをかけた有片《ありきれ》を、火鉢の傍に置いたりした。
「さんざお世話になって、またそんな物をお貰い申しちゃ済みましねえ。」
 母親はそれを瞶《みつ》めていながら、押し返すようにした。
「お庄ちゃんか正ちゃんか、どっちか一人おいて行けばいいのにね。」と、叔母は子供たちの顔を眺めた。
「田舎において来たつもりで、お庄ちゃんを私に預けておおきなさい。ろくなお世話も出来やしないけれど、どこかいいところへ異人館へ小間使いにやっておけば、運が
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