あげくに、争いが爺さんの方へも移って行った。お袋が死んでしまうと言って、素足のまま帯しろ裸で裏へ飛び出して行ったことや、狂気《きちがい》のように爺さんに武者《むしゃ》ぶりついて泣いたことなどを、女中は手真似をして話した。
「お神さんが独りでいさえすれば、何のことはないんでしょうがね。」と、世帯崩しのこの女中は、婆さんの男意地の汚いのを憎んだ。
「自分じゃ稚《ちいさ》い時分から育てた芳ちゃんが、まんざら可愛くないこともないんでしょうけれどね、やっぱりあの爺さんと別れられないんでしょうよ。お爺さんだって、今となっちゃ空手《ただ》じゃ出て行きゃしませんからね。」
お庄は、お袋からは何のことも聞かされなかった。
今日もお袋は、朝のうち料理場や帳場の方を見廻っていたが、まだ顔色が悪く、髪も取り乱したままであった。そして掃除がすむと神棚へ切り火をあげて、お庄と一緒に餉台《ちゃぶだい》に向いながら、これまでに自分の苦労して来た話などをして聴かした。
「何も辛抱ですよ。辛抱気のない人間はどこへ行っても駄目だよ。」と、お袋は、東京へ行って二日も帰らなかったお庄の心が、まだ十分ここに落ち着いていないのをもどかしく思った。
昼からお袋は、また頭が痛むと言って奥へ引っ込んで行った。
三時ごろ、お庄は帳場の蔭で、新聞の三面記事に読み耽《ふけ》りながら、そうした世間や自分の身のうえなどをいろいろに考えていた。広い通りには折々荷車が通って、燥《はしゃ》ぎきった砂がぼこぼこと立った。箪笥や鏡、嫁入り道具一式を売る向いの古い反物屋の前に据えた天水桶《てんすいおけ》に、熱そうな日が赫々《かっか》と照して、埃深《ほこりぶか》い陳列所の硝子のなかに、色の褪《さ》めたような帯地や友染《ゆうぜん》が、いつ見ても同じように飾られてあった。来た当座は寂しいその店などは、目にも留らなかったが、見馴れるにつれて、思いのほか奥行きのあることも知れて来た。幽暗《ほのぐら》い帳場格子のなかで、算盤《そろばん》をはじいている四十ばかりの内儀《かみ》さんも、そんなに田舎くさくはなかった。
店頭《みせさき》まで来てちょっと立ち停って、そのまま引き返して行った洋服姿の男が、ふと目についた。新しい麦稈《むぎわら》帽子を着て、金縁眼鏡をかけていた丸顔の横顔や様子が、どうやら磯野らしく思われた。お庄はここを覗《のぞ》かれたよう
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