差配の方の格子戸もまだ開かなかった。お庄はしばらくそこを彷徨《ぶらぶら》していた。
 昼少し前に、お庄が台所で飯の支度をしているところへ、磯野はぶらりとやって来た。そして奥で叔父や母親に調子を合わせて、何やら話し込んでいた。お庄はその顔を一目見たきりで口を利くことも出来なかった。
 飯の支度の出来た時分に、磯野は母親の止めるのも聞かずに、そわそわした風で帰って行った。
 お庄は目に涙をにじませながら、台所の方から出て来ると、「昨夜《ゆうべ》のことどうしたんです。」と出口で外套《がいとう》を着かけている磯野に声かけた。
「どうもしやしないよ。」と、磯野はにやにや笑いながら、「後で遊びにおいで」と言って出て行った。

     六十五

 田舎にいる芳村のもとへ、友達がそっと電報を打ってやった時分には、磯野は公然《おおぴら》にお増の部屋に入り込んでいた。
 糺や芳村の友達仲間に後援《あとおし》をされて、ある晩お庄が磯野を連れ出しに行った時、お増はちょうど餅を切っていた。磯野も褞袍《どてら》などを着込んで、火鉢の前に構え込んでいた。その前にも、お庄は天神の年の市に二人一緒に歩いているところを人中で見つけて、一度お増に突っかかって行った。
「あなたも何か悪いことがあるから、家へ寄っ着かないんでしょう。私ちゃんと知っていますよ。随分ひどい人ね。」とお庄は暗いところで、磯野に厭味を言ってからお増を詰《なじ》った。
「お庄ちゃん、あなたにはすまないが、お察しの通りよ。」とお増は磯野を庇護《かば》うようにして落ち着きはらっていた。
「こうなれば、意地にも磯野さんは私が一緒になって見せますよ。お気の毒ですけれど、まあそう思ってもらいましょうよ。」お増は仮声《こわいろ》のような調子で言った。
「しかたがないから磯野さんも、お庄ちゃんにきっぱりした挨拶をして下さい。」
「そんなことを言うもんじゃないよ。ここで逢ったんだから、とにかく一緒に歩こう。」と、磯野は二人を明るい方へ連れ出して行った。
 それからも逢って、話をするような折もなかった。
 お庄は夜になると、よく一人で家を脱け出して、お増の部屋の切り戸の外に立ち尽していた。
「お前が騒ぐからなおいけない。」と、母親はたしなめたが、お庄はそっとしておけなかった。
 糺や芳村の友達が集まって、そんな相談をしている時も、叔父は棄ておく方がい
前へ 次へ
全137ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング